「虎嘯龍吟」に登場する古典 ② 6〜10話(軍師連盟 48〜52)
中国ドラマ「三国志〜司馬懿 軍師連盟〜」(原題:第一部「大軍師司馬懿之軍師聯盟」第二部「虎嘯龍吟」*注)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。
*注:日本語字幕版は「虎嘯龍吟」1話を43話とし、全話連番。
目次
虎嘯龍吟 6話(48話「孔明の出師表」)
諸葛亮「出師表(出師の表)」より
出陣にあたり諸葛亮が主君の劉禅に上奏文を奉る。
有名な内容であり、長いため省略するが、原文は『三国志』蜀書に載る他、『文選』などにも収録されている。
先帝创业未半
而中道崩殂
今天下三分 益州疲弊
此诚危急存亡之秋也
[……]先帝は大業の道半ばにして
崩御されました
今 天下は三分し
益州は疲弊しております
これは まさに
危急存亡の秋です
[……]
『戦国策』秦策より(?)
劉禅が祭祀に用いる酒を勘違いして共に飲もうと持って来たため、諸葛亮が軍旗に捧げて勝利を誓う。
「攻無不克、戦無不勝」で百戦百勝の意の成語。多少表現は異なるが、中国語ウェブ上では『戦国策』秦策が出典とされていた。
陛下
我用此酒
来祭奠我大汉的军旗
愿此酒保佑陛下的雄师
攻无不克 战无不胜
愿昭烈皇帝在天之灵
保佑我们旗开得胜陛下
この酒を—
漢の軍旗に捧げましょう
陛下の精兵たちを
お守りください
必ず敵を討ってまいります
天におわします先帝よ
この旗のもとに
必ず勝利を収めます
攻无不克 gōng wú bù kè
〈成〉攻撃すれば陥落しないところはない.
攻无不克,战无不胜
攻めて落ちざるはなく,戦って勝たざるはなし.百戦百勝.『中日辞典(第3版)』(小学館、2016年)
今秦出號令而行賞罰,有功無功相事也。出其父母懷衽之中,生未嘗見寇耳。聞戰,頓足徒裼,犯白刃,蹈鑪炭,斷死於前者皆是也。夫斷死與斷生者不同,而民為之者,是貴奮死也。夫一人奮死可以對十,十可以對百,百可以對千,千可以對萬,萬可以剋天下矣。今秦地折長補短,方數千里,名師數十百萬。秦之號令賞罰、地形利害,天下莫若也。以此與天下,天下不足兼而有也。是故秦戰未嘗不剋,攻未嘗不取,所當未嘗不破,開地數千里,此其大功也。然而兵甲頓,士民病,蓄積索,田疇荒,囷倉虛,四鄰諸侯不服,霸王之名不成,此無異故,其謀臣皆不盡其忠也。
『三国志』魏書・郭嘉伝より
吹雪の中の進軍で、馬が滑るため止まって出直してはという司馬孚の意見を退ける司馬懿。
日本語字幕では意訳されているが、「兵は神速を貴ぶ」は曹操の烏丸討伐に際して郭嘉が進言した言葉で、作中の時代に故事成語のように使われたかどうかは怪しいが、類似の概念自体は『孫子』などに見られる。
兵贵神速
再晚孟达就有准备了
我去前面开路急ぐのだ
遅れると孟達が動く
私が先陣に
兵贵神速 bīng guì shén sù
〈成〉兵は神速を貴ぶ;戦争では兵の動かし方の素早いことが最も大切である.『中日辞典(第3版)』(小学館、2016年)
【神速】しんそく きわめて速やかなこと。人間わざでない速やかさ。〔魏志・郭嘉伝〕兵ハ貴㆓ブ神速㆒ヲ
『角川新字源(改訂新版)』(角川書店、2017年)
太祖將征袁尚及三郡烏丸,諸下多懼劉表使劉備襲許以討太祖,[……]至易,嘉言曰:「兵貴神速。今千里襲人,輜重多,難以趣利,且彼聞之,必為備;不如留輜重,輕兵兼道以出,掩其不意。」太祖乃密出盧龍塞,直指單于庭。虜卒聞太祖至,惶怖合戰。大破之,斬蹋頓及名王已下。尚及兄熙走遼東。
陳壽撰、裴松之注《三國志 三 魏書〔三〕》(中華書局,1982年) 郭嘉傳 pp.434-435
太祖は袁尚と〔それを助ける〕三郡(漁陽・右北平・雁門)の烏丸族を征伐しようとした。[……]易まで来ると、郭嘉は進言した、「軍事は神のごとき迅速さを尊びます。今千里彼方に人を襲撃しますれば、輜重は多くなって、有利なところへ馳せつけることはむつかしいでしょう。そのうえ、やつらがこのことを聞けば、必ず防備いたします。輜重をとめおき、軽装の兵に普通の倍の速度をもって出撃させ、彼らの不意をつくほうがよろしいでしょう。」太祖はそこでこっそり盧龍塞を出て、まっすぐに単于の本拠地を目指した。
陳寿、裴松之注、今鷹真訳『正史 三国志 3 魏書Ⅲ』(ちくま学芸文庫、1993年) 郭嘉伝 pp.31-32
虎嘯龍吟 7話(49話「馬謖の誤算」)
番外編:諸葛亮の孟達への書(『三国志』蜀書・費詩伝より)
先帝曹丕との親交を盾に命乞いをする孟達に、諸葛亮から誘われた証拠の文を見せて返す司馬懿。最初の台詞では意訳されているが、場面の最後に司馬懿が改めて呟く「依依東望」のキーワードは、後の回にも登場する。「依依」は名残惜しく離れがたい、未練があるといった意味。
诸葛亮都要与你依依东望了
还能对先帝念兹在兹
不容易啊[……]
依依东望
諸葛亮から心を寄せられ
先帝にも思いを残すとは
恐れ入る[……]
“東を眺めやる”
亮欲誘達以爲外援,竟與達書曰:「往年南征,歲(未及)〔末乃〕還,適與李鴻會於漢陽,承知消息,慨然永嘆,以存足下平素之志,豈徒空託名榮,貴爲乖離乎!嗚呼孟子,斯實劉封侵陵足下,以傷先主待士之義。又鴻道王沖造作虛語,云足下量度吾心,不受沖說。尋表明之言,追平生之好,依依東望,故遣有書。」
陳壽撰、裴松之注《三國志 四 蜀書》(中華書局,1982年) 霍王向張楊費傳第十一 p.1016
諸葛亮は孟達を誘って外からの援けにしたいと望み、けっきょく孟達に手紙を送って述べた、「先年南征し、年末にやっと戻って参りました。ちょうど李鴻と漢陽で出会い、消息をうけたまわりまして、万感わきおこり長い嘆息をつき、足下の平素の気持を思いやった次第です。いったいいたずらに空しく名誉を重んじ、離ればなれの状態をよしとしていてよいものでしょうか。ああ孟君よ、このことは実際、劉封が足下を侵害し、それによって先主の士人待遇の道をそこなった結果、おこったことです。また李鴻は、王沖がでたらめの話を作りあげたとき、足下が私の心を忖度し、王沖の言葉を信用なさらなかった、と申しておりました。はっきりとしたご発言の趣旨を考え、平生よりの友好を追憶し、心ひかれて東をながめやり、そのためにお手紙した次第です。」
陳寿、裴松之注、井波律子訳『正史 三国志 5 蜀書』(ちくま学芸文庫、1993年) 霍王向張楊費伝 第十一 pp.322-323
趙執信『談龍録』より
諸葛亮の動きが読めない魏軍の陣営にて、司馬師が訝る。神秘的で実体の捉えがたい様子を表す中国語の慣用句で、清代の詩話に由来するらしい。この時代にはまだ無かったことになる。
箕谷
诸葛亮的主力到底在哪儿
怎么会在箕谷出现一支兵
神龙见首不见尾
这次不但不见尾
连首都见不着箕谷ですか
本軍はどこに?“神龍の頭を見ても
尾は見えず”
しかし 頭すら見えませぬ
『史記』項羽本紀より
我在宛城给孟达写信
不是也说自己在洛阳吗
先发制人
后发制于人
此一役
诸葛已占尽先机
后手落子 切切不可造次
只可随机应变私は宛城から送った文を
洛陽で書いたと偽った
“先んずれば人を制す”という
諸葛亮に先を越されたようだ
次の一手は よく考えねば
臨機応変に
【先即(卽)制㆑人】さきんずればすなわち(すなはち)ひとをせいす
人よりさきに事を起こせば、人を支配できる。早いが勝ち。〔史・項羽紀〕先ンズレバ即チ制㆑シ人ヲ、後ルレバ則チ為㆓ル人ノ所一レト制スル
其九月,會稽守通謂梁曰:「江西皆反,此亦天亡秦之時也。吾聞先即制人,後則為人所制。吾欲發兵,使公及桓楚將。」是時桓楚亡在澤中。梁曰:「桓楚亡,人莫知其處,獨籍知之耳。」梁乃出,誡籍持劍居外待。
中央研究院 漢籍電子文獻資料庫 > 史記 > 本紀 > 項羽本紀第七
『孫子』謀攻篇より
経験がないのに張郃に対抗できるのかと魏延に疑われた馬謖が反論する。
上兵伐谋
正是因为在下熟读兵书
才不至于痴人说梦 贪功冒进
“上兵は謀を伐つ”
兵法に精通した私が
愚かにも
功を焦って墓穴を掘ると?
上兵伐㆑謀 じょうへいハぼうヲうツナリ
訳 最上の戦とは陰謀をうち破ることである〈孫・謀攻〉『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)
[……]上兵伐謀、其次伐交、其次伐兵、其下攻城、攻城之法、爲不得已、[……]
[……]上兵は謀を伐つ。其の次ぎは交を伐つ。其の下は城を攻む。攻城の法は已むを得ざるが為めなり。[……]
[……]最上の戦争は敵の陰謀を〔その陰謀のうちに〕破ることであり、その次ぎは敵と連合国との外交関係を破ることであり、その次ぎは敵の軍を討つことであり、最もまずいのは敵の城を攻めることである。城を攻めるという方法は、〔他に手段がなくて〕やむを得ずに行なうのである。[……]
金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 謀攻篇第三 pp.46-47
『孫子』行軍篇より(?)
王平の意見を退け、山の上に布陣しようとする馬謖。台詞の表現自体は『三国志演義』に基づき、原語では孫子とは言っていないが、『孫子』行軍篇、地形篇などには高所を占めるべきであるという内容がある。
参军 兵法云
凭高视下 势如破竹
魏军来到路口
我军凭高投石投火 魏军必大乱
王将军不知
江东陆逊正是居高临下
埋伏杀得曹休司马懿
十五万大军落荒而逃
“高き所に陣を構えよ”と
孫子は説いておる
上から石や火矢を放てば
魏軍は乱れるぞ
知らぬようだな
呉の陸遜は高所で待ち伏せし
曹休と司馬懿が率いる
15万の大軍に勝利した
卻說馬謖、王平二人兵到街亭,看了地勢。馬謖笑曰:「丞相何故多心也?量此山僻之處,魏兵如何敢來!」王平曰:「雖然魏兵不敢來,可就此五路總口下寨;即令軍士伐木為柵,以圖久計。」謖曰:「當道豈是下寨之地?此處側邊一山,四面皆不相連,且樹木極廣,此乃天賜之險也。可就山上屯軍。」平曰:「參軍差矣:若屯兵當道,築起城垣,賊兵總有十萬,不能偷過;今若棄此要路,屯兵於山上,倘魏兵驟至,四面圍定,將何策保之?」
謖大笑曰:「汝真女子之見!兵法云:『凭人高視下,勢如破竹。』若魏兵到來,吾教他片甲不回!」[……]
中央研究院 漢籍電子文獻資料庫 > 三國演義 > 第九十五回 馬謖拒諫失街亭 武侯彈琴退仲達
孫子曰、凡處軍相敵、絕山依谷、視生處高、戰隆無登、此處山之軍也、[……]
孫子曰わく、凡そ軍を処き敵を相ること。山を絶つには谷に依り、生を視て高きに処り、隆きに戦いては登ること無かれ。此れ山に処るの軍なり。[……]
孫子はいう。およそ軍隊を置く所と敵情の観察とについてのべよう。山越えをする軍には谷に沿って行き、高みを見つけては高地に居り、高い所で戦うときには上に居る敵にたち向かってはならない。これが山に居る軍隊についてのことである。[……]
金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 行軍篇第九 pp.111-113
『孫子』九地篇より
王平が魏軍に水源を断たれたらどうするのかと反論するが、馬謖は再び兵法を持ちだして退ける。
孙子云 置之死地而后生
若魏军真断我水源
我军岂不死战“死地に陥れて後に生く”
水を断たれた兵は死ぬ気で戦う
[……]犯之以事、勿告以言、犯之以利、勿告以害、投之亡地、然後存、陷之死地、然後生。夫衆陷于害、然後能為勝敗、
[……]これを犯うるに事を以てして、告ぐるに言を以てすること勿かれ。これを犯うるに利を以てして、告ぐるに害を以てすること勿かれ。これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く。夫れ衆は害に陥りて然る後に能く勝敗を為す。
[……]軍隊を働かせるのは任務を与えるだけにして、その理由を説明してはならず、軍隊を働かせるのは有利なことだけを知らせて、その害になることを告げてはならない。〔だれにも知られずに、〕軍隊を滅亡すべき情況に投げ入れてこそ始めて滅亡を免れ、死すべき情況におとしいれてこそ始めて生きのびるのである。そもそも兵士たちは、そうした危難に落ちいってこそ、始めて勝敗を自由にすることができるものである。
金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 九地篇第十一 pp.161-163
虎嘯龍吟 8話(50話「街亭の戦い」)
『孫子』謀攻篇より
司馬懿軍の軍議にて、司馬懿は街亭に流言を流して機を待とうとするが、郭淮が進軍すべきだと反論する。
将军 兵法云 十则围之
如今我军掌握十倍兵力不曾向前
难道让我雍凉之兵贻笑天下吗将軍
“十なればこれを囲む”
大軍を有しながら戦わねば
天下の笑いものになります
故用兵之法、十則圍之、五則攻之、倍則分之、敵則能戰之、少則能逃之、不若則能避之。故小敵之堅、大敵之擒也、
故に用兵の法は、十なれば則ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻め、倍すれば則ちこれを分かち、敵すれば則ち能くこれと戦い、少なければ則ち能くこれを逃れ、若かざれば則ち能くこれを避く。故に小敵の堅は大敵の擒なり。
そこで、戦争の原則としては、〔身方の軍勢が〕十倍であれば敵軍を包囲し、五倍であれば敵軍を攻撃し、倍であれば敵軍を分裂させ、ひとしければ努力して戦い、少なければなんとか退却し、力が及ばなければうまく隠れる。〔小勢では大軍に当たりがたいのが常道だからである。〕だから小勢なのに強気ばかりでいるのは、大部隊のとりこになるだけである。
金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 謀攻篇第三 pp.48-49
『孫子』九変篇より
街亭の戦勝後の魏軍にて、諸葛亮の行方を推測する司馬懿。日本語字幕では一部省略されているが、将の「五危」とは「必死、必生、忿速、廉潔、愛民」であり、諸葛亮はこのうち「廉潔、愛民」の二つの弱点を持っていると語る。
余談だが、昔、「将に五危あり - 諸葛誕の乱の勝敗」で司馬昭がこの「五危」を巧く回避しているという記事を書いた。(歴史上、およびドラマの)司馬懿もよく似ており、父譲りのバランス感覚かもしれない。
(司马懿)
兵法云 将有五危(张郃)
将军 此刻才翻兵书
是不是有点晚了(司马懿)
五危者 必死必生
忿速 廉洁 爱民
诸葛亮廉洁爱民 五危者占其二
我以为诸葛亮
会去西县(司馬懿)
“将に五危あり”だ(張郃)
こんな時に兵法を?
(司馬懿)
誇り高き心と民を慈しむ心
この2つが
諸葛亮の泣きどころだ
恐らくあやつは
西県にいる
[……]將有五危、必死可殺也、必生可虜也、忿速可侮也、廉潔可辱也、愛民可煩也、凡此五者、將之過也、用兵之災也、覆軍殺將、必以五危、不可不察也、
[……]将に五危あり。必死は殺され、必生は虜にされ、忿速は侮られ、廉潔は辱しめられ、愛民は煩さる。凡そ此の五つの者は将の過ちなり、用兵の災なり。軍を覆し将を殺すは、必ず五危を以てす。察せざるべからざるなり。
[……]将軍にとっては五つの危険なことがある。決死の覚悟で〔かけ引きを知らないで〕いるのは殺され、生きることばかりを考えて〔勇気に欠けて〕いるのは捕虜にされ、気みじかで怒りっぽいのは侮られて計略におちいり、利欲がなくて清廉なのは恥ずかしめられて計略におちいり、兵士を愛するのは兵士の世話で苦労をさせられる。およそこれらの五つのことは、将軍としての過失であり、戦争をするうえで害になることである。軍隊を滅亡させて将軍を戦死させるのは、必ずこの五つの危険のどれかであるから、十分に注意しなければならない。
金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 九変篇第八 pp.109-110
虎嘯龍吟 9話(51話「空城の計」)
『史記』越王句踐世家他より
西県の空城を前に、司馬懿が心の中で対峙した諸葛亮が語る。実際に対話しているわけではなく、司馬懿の心の奥にあるものをイメージ上の諸葛亮が語るような演出で、表向きには『三国志演義』の有名なエピソードをなぞりつつ、その裏を描く、このドラマらしい展開。
日本語字幕では意訳されているが、軍師連盟26話にも登場した、飛ぶ鳥が居なくなれば弓は蔵われる=有能な臣も用済みになれば捨てられるという比喩。
[……]
今日
你擒亮杀亮皆可不在话下
然而未央宫中罗网
恐已在你仲达的身后早早备下
此刻
你若踏入城内
外患若平
鸟尽弓藏[……]
今日 そなたが私を
生け捕りにしようが 討とうが
皇宮は罠だらけであろう
そなたの行く末は
もはや決まっておるはずだ
今 西城に足を踏み入れて
敵を平らげれば—
そなたは用済みとなる
虎嘯龍吟 10話(52話「投獄の汚名」)
『白虎通義』三軍篇より(?)
諸葛亮一人の力がそんなに大きいのかと尋ねる曹叡に、司馬懿が答える。
启禀陛下
诸葛亮临危之时尚以己为铒
虏我三郡百姓入蜀
他可令西蜀全民皆兵
兵法云 一人必死 百夫莫挡
万人必死 横行天下
诸葛亮可让十万人为他效命
为人若此 必当卷土重来陛下
諸葛亮は自らを餌にして
3郡の民を逃がしました
民は兵となります
兵法にも“一致団結すれば
天下に並ぶ者なし”とあり
蜀の民は死力を尽くして—
諸葛亮を支えに戦うでしょう
[……]《傳》曰:「一人必死,十人不能當;百人必死,千人不能當;千人必死,萬人不能當;萬人必死,橫行天下。」雖有萬人,猶謙讓自以為不足,故復加五千人,因法月數。月者,群陰之長也。十二月足以窮盡陰陽備物成功。二千人亦足以征伐不義,致太平也。[……]
番外編:説曹操、曹操到
曹操の話をすると曹操がやってくる=「噂をすれば影」のようなニュアンスで、中国語で一般的に使われる諺を利用したコメディ的なシーン。由来は諸説あるようだが、『三国志演義』で献帝劉協が曹操を召そうとしたところ、曹操は自ら天子を奉じるべく既に動き出していたエピソードが元という説がある。
(张春华)
还真是说曹操曹操到啊(司马懿)
春华 这就是你的不对了
这个说谁谁 谁谁就到呀
那是前朝刘协说武皇帝的话
在本朝 是忌讳
不次注意啊(張春華)
“噂をすれば曹操が来る”(司馬懿)
春華 口を慎むように
その言葉はかつて劉協が“耳ざとい”と
武帝を評したものだ
魏では口にするのも
禁忌とされる
太尉楊彪、帝に奏上して、「先に下しおかれたご詔勅、今日まで沙汰いたすおりもなく打ち過ぎ
ておりましたるが、当今、曹操は山東にあって屈強の将兵を集めおりますれば、出仕を命じて皇室を補佐いたさせるのが宜しいと存じまする」
[……]
楊彪は仰せをかしこまって、ただちに山東へ勅使を下向させ、曹操を召した。
さて曹操は山東にあって、聖駕すでに洛陽に帰りたもう由を聞き、幕僚を集めて協議したが、荀彧が進み出て言うのに、
「そのかみ晋の文公は周の襄王を擁したため、諸侯みな従い、漢の高祖は楚の義帝のために喪に服して、天下の心をつかみましたるに、いま天子蒙塵したもうこのおりに、将軍が義兵を挙げんことを提唱いたされ、天子を奉じて衆望に応えらるるは、比いなき大略と存じます。もし早急にこれを計られねば、余人に先んじられましょうぞ」
曹操が大いに喜んで、出陣の支度を整えるところに、勅使がお召しの詔をもたらしたとの知らせ。曹操は詔を受け、日を定めて打ち立った。羅貫中作、立間祥介訳『三国志演義 上』(平凡社、1972年) 第十四回 p.118
曹丕「燕歌行」(其一)より
戦により長く離れていた間の気持ちを司馬懿に伝える柏霊筠が引用する、既に何度も登場した曹丕の詩「燕歌行」。日本語字幕では意訳されている冒頭部分も詩の一部である。また、続く場面で司馬懿が冗談を言う際にも登場する。
(柏灵筠)
不过是贱妾茕茕守空房
忧来思君不敢忘
(司马懿)
这空房守的
把先帝的燕歌行都想起来了
你不会今日
让我与你在此缅怀先帝吧[……]
(司马懿)
我此时想到的
也是先帝的燕歌行
明月皎皎照我床
牵牛织女遥相望
这次 我终于攻克乃还了(柏霊筠)
独り寝の寂しさに
耐えるばかりです
“あなたを忘れる時はない”(司馬懿)
先帝の「燕歌行」を
寝所で思い出すとは
再会の日に
2人で先帝を悼むのか[……]
(司馬懿)
まさに今
私も「燕歌行」を思い出した“月明かり 床を照らし
牽牛と織女 相望む”
ようやく攻め落とせる
秋風蕭瑟天氣涼 草木搖落露爲霜
群燕辭歸雁南翔
念君客遊思斷腸 慊慊思歸戀故鄕
何爲淹留寄他方
賤妾煢煢守空房 憂來思君不敢忘
不覺淚下霑衣裳 援琴鳴弦發淸商
短歌微吟不能長
明月皎皎照我牀 星漢西流夜未央
牽牛織女遙相望 爾獨何辜限河梁[……]
賤妾煢煢として空房を守り、憂來りて君を思ひて敢て忘れず。
[……]
明月皎皎として我が牀を照らし、星漢西に流れて夜未だ央きず。牽牛・織女遙かに相望む。爾獨り何の辜ありてか河梁に限らる。通釈 [……]
それにあなたのみは旅立ったままお帰りがない。それを思うと腸もたちきられるように悲しい。夫も定めしくよくよと故郷を恋い慕うておられるでしょうのに、なぜ長く滞在して、他国に身を寄せられるのやら。
わたしは独り寂しく空閨を守っていると悲しくなって来て、あなたのことがどうにも忘れられず、涙がこぼれて衣裳をぬらすのも知らぬありさま。[……]
おりから明月の光はきらきらとわが床を照らし、天の川は西に傾いたが、まだ夜明けにはならず、その天の川を隔てて牽牛・織女の二星が遙かに相対している。ああ、この二星に何の罪があって、かくは河に隔てられる身となったのであろう。それはまたわが身の境遇に異ならない。内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年) 楽府上・魏文帝 楽府二首・燕歌行 pp.478-479
公開:2022.06.20 更新:2022.06.24