「軍師連盟」に登場する古典 ⑨ 41〜42話

中国ドラマ「三国志〜司馬懿 軍師連盟〜」(原題:第一部「大軍師司馬懿之軍師聯盟」、第二部「虎嘯龍吟」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。

目次

軍師聯盟 41話 曹植、涙の七歩詩

曹植(*注)「七歩詩」より

謀反の容疑で投獄されている曹植が、七歩の間に弁明する機会を与えられて詠む。
『世説新語』等にある有名な逸話のアレンジ。元の詩では、煮られて泣く豆に曹植・萁に曹丕を擬え、弟を殺そうとする兄を詠んだと解釈されるが、司馬懿役の呉秀波氏は、このドラマの場面は豆が曹丕、萁が曹植であるという発言をしている(「我就是演员」第1期内)。同じ根から生まれた豆は煮られて苦しみ、燃料となり豆を苦しめる萁もまた犠牲となっている。それゆえに、図らずも曹植によって苦しめられてきたこの曹丕の心に響いたのではないか。

*注 実話ではなく、詩も後世の偽作とされる。

煮豆持作羹
漉菽以为汁
萁在釜下燃
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急

豆を煮て
持ってあつものを作る
まめして
もって汁と
まめがらは釜の下に在りて燃え
豆は釜の中に在りて泣く
もとは同じ根より生ぜしに
相煎あいいるとは
何ぞ はなはだ急なる

煮豆持作羹
漉豉以為汁
萁在釜下燃
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急

まめってあつもの
してってしる
まめがらかましたりて
まめかまなかりて
とはおなじくしてしょうじたるに
ることんぞはなはだしくきゅうなる

豆を煮て、それで豆乳を作り。醗酵させた豆をこして、汁を作る。
豆がらは釜の下でもえ、豆は釜の中で泣いていう。「もとはといえば、同じ根から育ったものではありませんか、どうして、そんなにひどくいりつけるのです。」

伊藤正文注『中國詩人選集 第三巻 曹植』(岩波書店、1958年) pp.120-122

易経えききょう家人かじんより
春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん哀公あいこう二十四年より

曹丕郭照を皇后に立てようとし、郎中の桟潜さんせんが家柄で選ぶべきだと反対する。『三国志』魏書の郭皇后伝にある桟潜の発言を元にしている。

夏桀因妹喜而奔南巢
商纣因妲己而做炮烙
此皆宠妖妃乱国之鉴
是以圣哲天子慎立皇后
必取先代世族之家
择其令淑 以统后启
故易经曰
家道正 而天下定
春秋曰
无以妾为夫人之礼

けつ王やしょうちゅう王は
妖妃ようひへの偏愛ゆえに
国を滅ぼすに至りました
皇后は慎重に選ぶべきです
由緒ある名家の令嬢ならば
後宮を取りしきれます
易経えききょう」にいわく
“家正しければ 天下定むる”
春秋しゅんじゅう」には
“側室を立てるは非礼”

黃初三年,將登后位,文帝欲立爲后,中郎棧潛上疏曰:「[……]曰:『家道正而天下定。』由內及外,先王之令典也。春秋書宗人釁夏云,無以妾爲夫人之禮。齊桓誓命于葵丘,亦曰『無以妾爲妻』。今後宮嬖寵,常亞乘輿。若因愛登后,使賤人暴貴,臣恐後世下陵上替,開張非度,亂自上起也。」文帝不從,遂立爲皇后。

陳壽撰、裴松之注《三國志 一 魏書〔一〕》(中華書局,1982年) 文德郭皇后伝 pp.164-165

家人、利女貞。

彖曰、家人、女正位乎內、男正位乎外。男女正、天地之大義也。家人有嚴君焉、父母之謂也。父父、子子、兄兄、弟弟、夫夫、婦婦、而家道正。正家而天下定矣。[……]

彖伝 [……]先ず家人を正しくして、内より外に及び、必ず天下は治まり定まるものである。

今井宇三郎『新釈漢文大系 第24巻 易経(中)』(明治書院、1993年) 周易下經(37)家人 pp.751-752

公子荆之母嬖。將以爲夫人。使宗人釁夏獻其禮。對曰、無之。公怒曰、女爲宗司。立夫人、國之大禮也。何故無之。對曰、周公及武公娶於薛、孝惠娶於商、自桓以下娶於齊。此禮也則有。若以妾爲夫人、則固無其禮也。公卒立之、而以荆爲大子。國人始惡之。

通釈 魯の公子荆の母は哀公のお気に入りであった。哀公はこれを夫人に立てようとして、礼官の釁夏に命じて夫人を立てる礼を言上させようとしたところ、「そのようなものはございません」と答えた。哀公は立腹して、「お前はそれを掌る役人である。夫人を立てるのは、国の大事な礼である。どうしてないわけがあろう」というと、夏は、「周公と武公とは薛から、孝公・恵公は商から、桓公より以下は斉から夫人をめとりました。こうした礼ならばございますが、妾を夫人とするようなことは、もとよりそのような礼はございません」と答えた。しかし哀公は結局これを夫人にたて、その子の荆を太子に定めたので、国の人々はこれより次第に哀公をいやに思うようになった。

鎌田正『新釈漢文大系 第33巻 春秋左氏伝 四』(明治書院、1981年) 哀公二十四年 pp.1874-1875

論語ろんご述而じゅつじ篇より

牢に拓本の差し入れを持ってきた鍾会に、司馬懿が応える。日本語字幕では「韶の音楽を聞き」という前提が省略されている。「韶」はが作ったとされる音楽。

孔子曰
闻韶乐 三月不知肉味
为不这字帖
我可以一年不吃肉

孔子こうしいわく
三月みつき 肉の味わいを知らず”
肉がなくとも
1年は過ごせるぞ

子在齊、聞韶樂三月、不知肉味、曰、不圖爲樂之至於斯也、

子、せいいましてしょうを聞く。三月、肉の味を知らず。のたまわく、はからざりき、がくすことのここに至らんとは。

*三月——徂徠は「韶を聞くこと三月、」と上につけて読む。『史記』から考えるとそれが正しい。原文の句点はそれによる。

先生は斉の国で数か月のあいだしょうの音楽を聞き〔習われ、すっかり感動して〕肉のうまさも解されなかった。「思いもよらなかった、音楽というものがこれほどすばらしいとは。」

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 述而第七 p.134

軍師聯盟 42話 司馬懿の解放

詩経しきょう小雅しょうが小旻しょうびん」より

免官され、尚書台を去る司馬懿陳羣に語る。日本語でも比喩として使われる「薄氷を履む」。語源となった詩は、周を滅ぼした暗君の幽王を風刺する内容とされる。

长文兄
诗经有云
战战兢兢 如履薄冰
长文兄 你看
这就是坐在那个位子上的感受
可还是有人
想要坐那个位子
这就是人的野心

長文殿
“戦々恐々
 薄氷をむがごとし”
という

あの座につくのは
まさにそんな心情だ
それでも
あの座を求める者がいる
それが野心というものだ

旻天疾威 敷于下土
謀猶囘遹 何日斯沮
謀臧不從 不臧覆用
我視謀猶 亦孔之邛
[……]
不敢暴虎 不敢馮河
人知其一 莫知其他
戰戰兢兢 如臨深淵
如履薄氷

大いなる天の麗しい威厳は、天下にあまねく行きわたる。(それなのに)謀りごとのよこしまで偏ったものは、いつになったら止むのだろうか。(王は)善い意見には従わず、(小人の)善くない意見をかえって用いる。私は(小人の)謀りごとを見るに(つけ)、はなはだ憂え痛むばかりだ。
[……]
決して虎を素手でちはしない、決して黄河を徒歩で渡りはしない。誰もそのことを知っているが、その他(の危険)はいっこうに知らない。(かかる小人から我が身を守るためには)戦々兢々として、深い淵に臨むように、薄氷を踏むように(慎重でなければならない)。

石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年) 小雅・小旻 pp.332-335

古詩こし十九首じゅうきゅうしゅ・第十八首より

司馬懿が故郷に帰ることになるが、洛陽に残るという柏霊筠。遠行の夫を思う妻の古詩。

相距万余里
故人心尚尔

老爷不必再说了
若是时局让你回来
我就在这里等着

“相へだつこと万余里”
“故人の心 尚しかり”

よいのです
戻られるまで
ここで待ちます

客從遠方來 遺我一端綺
相去萬餘里 故人心尙爾
文綵雙鴛鴦 裁爲合歡被
著以長相思 緣以結不解

以膠投漆中 誰能別離此

かく遠方ゑんぱうよりきたり、われ一端いったんおくる。
あひること萬餘里ばんよりなるも、故人こじんこころしかり。
[……]

通釈 遠方から訪ねて来た客が私に一反のあやぎぬを置いて行った。それは夫から届けられたもの、万里以上も隔たっているのに、あの人の親切心はまだ昔のままで、かわらなかった。[……]

内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年) 雑詩上(古詩十九首) p.572

公開:2022.06.09 更新:2022.07.25

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