「軍師連盟」に登場する古典 ⑧ 36〜40話
中国ドラマ「三国志〜司馬懿 軍師連盟〜」(原題:第一部「大軍師司馬懿之軍師聯盟」、第二部「虎嘯龍吟」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。
目次
- 軍師聯盟 36話 鄧艾の危機
- 軍師聯盟 37話 突然の訃報
- 軍師聯盟 38話 母の決意
- 軍師聯盟 39話 女たちの暗躍
- 軍師聯盟 40話 司馬懿、後宮を駆ける
軍師聯盟 36話 鄧艾の危機
『論語』泰伯篇より
曹洪が鄧艾を軍権で処刑しようとし、止めようとした司馬懿に反論する。日本語字幕では意訳されている。
『論語』の泰伯篇および憲問篇に重複してある言葉。
司馬中丞
不在其位 不谋其政
本将军还是劝你一句司馬中丞
他人の職務に口を出すな
私からの忠告だ
子曰、不在其位、不謀其政也、
子の曰わく、其の位に在らざれば、其の政を謀らず。
先生がいわれた、「その地位にいるのでなければ、その政務に口だししない。」
金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 泰伯第八 p.159
曹操「短歌行」より
司馬懿に対する懸念を柏霊筠に語る曹丕。すでに何度も登場した曹操の「短歌行」。
譬如朝露
去日苦多
朕现在才明白
先王当年的焦虑
“朝露の如く”
“はかなく過ぎし日々”
先帝の焦りが
朕にもようやく分かった
對酒當歌 人生幾何
譬如朝露 去日苦多
慨當以慷 憂思難忘
何以解憂 唯有杜康
[……]酒に對しては當に歌ふべし。人生は幾何ぞ。
譬へば朝露の如し。去日苦だ多し。
慨して當に以て慷すべし、憂思忘れ難し。
何を以て憂を解かん。唯杜康有るのみ。
[……]通釈 酒を飲んでは大いに歌うべきである。人生はどれだけ続き得るものぞ。それはあたかも朝露のように極めてはかないものである。されば過ぎ去った日はいやに多くても、功業はなかなか成らない。これを思えばなげかずにはいられず、心の憂も忘れ難い。この憂を消すものはただ酒あるのみ。だから酒に対しては憂を忘れて歌うべきである。[……]
内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年) 楽府二首 短歌行(魏武帝) pp.475-476
軍師聯盟 38話 突然の訃報
甄皇后(諸説あり)「塘上行」より
毒を賜り、死を前にした甄宓が吟ずる。この詩の作者については無名氏、曹操、曹丕、甄皇后(ドラマの甄宓)と諸説あり、字句の異同も多いそうである。下記引用は『玉台新詠』収録のもの。ドラマ作中では、甄皇后が死の前に詠んだ詩とする説を採用している。
蒲生我池中
其叶何离离
傍能行仁义
莫若妾自知
众口铄黄金
使君生别离
念君去我时
独愁常苦悲蒲は池中に生じ
葉は連なり茂る
仁義を行う傍らで
おのずと君を知る
衆口 金を溶かし
君と生きて別離する
去りゆく君を思う時
独り憂え—
常に苦しみ悲しむ
蒲生我池中 其葉何離離
傍能行仁義 莫若妾自知
衆口鑠黃金 使君生別離
念君去我時 獨愁常苦悲
想見君顏色 感結傷心脾
念君常苦悲 夜夜不能寐
莫以賢豪故 棄捐素所愛
莫以魚肉賤 棄捐葱與薤
莫以麻枲賤 棄捐菅與蒯
出亦復苦怨 入亦復苦愁
邊地多悲風 樹木何翛翛
從軍致獨樂 延年壽千秋蒲我が池中に生ず、其の葉何ぞ離離たる。
傍能く人義を行ふ、妾が自ら知るに若くは莫し。
衆口黃金を鑠し、君をして生別離せしむ。
念ふ君が我を去りし時、獨り愁へて常に苦悲す。
[……]通釈 蒲がわたしの家の池の中に生えている。その葉は乱れることなく、はなればなれに立ち並んでいる。わたしどもの生活の行儀よさもそれと同じ。その頃あなたが行き届いた夫たるの道を行われたことは、わたしが一番よく存じていました。ところがあなたは多くの人々から金をもとろかすようなかげ口をたたかれて遂にわたくしと生きながら別れねばならぬことになりました。[……]
内田泉之助『新釈漢文大系 第60巻 玉台新詠(上)』(明治書院、1974年) 卷二 樂府塘上行一首(甄皇后) pp.129-131
曹丕「與朝歌令吳質書(朝歌令呉質に与うるの書)」より
曹丕の、司馬懿や呉質との絆が羨ましかったと語る郭照。曹丕が太子時代に呉質に宛てた手紙。ドラマでは郭照が自分の身と引き比べているが、実際には手紙を書いた時点で既に過去となった幸せを思い返し、変わってしまった現在を悲しむ内容である。
我记得
你曾经在信里跟我说过
浮甘瓜于清泉
沉朱李于寒水
白日既匿 继以朗月
同乘并载 以游后园
我那个时候就非常懊恼
我只能在这方寸的后宫陛下は呉質にこんな文を
“瓜を清き泉に浮かべ
李を冷水に沈めた”
“夜になれば 月明かりで”
“共に車に乗り
裏の庭園に遊んだ”
その頃 私は後宮で
息が詰まりそうでした
五月十八日、丕白、季重無恙。塗路雖局、官守有限。願言之懷、良不可任。足下所治、僻左、書問致簡、益用增勞。每念昔日南皮之遊、誠不可忘。旣妙思六經、逍遙百氏、彈碁間設、終以六博。高談娛心、哀箏順耳。馳騁北場、旅食南館、浮甘瓜於淸泉、沈朱李於寒水。白日旣匿、繼以朗月、同乘竝載、以遊後園。輿輪徐動、參從無聲、淸風夜起、悲笳微吟。樂往哀來、愴然傷懷。余顧而言、斯樂難常、足下之徒、咸以爲然。今果分別、各在一方。元瑜長逝、化爲異物。每一念至、何時可言。
方今蕤賓紀時、景風扇物、天氣和暖、衆果具繁。時駕而遊、北遵河曲。從者鳴笳以啓路、文學託乘於後車。節同時異。物是人非。我勞如何。今遣騎到鄴、故使枉道相過。行矣自愛。丕白。五月十八日。丕が申しあげます、季重どの、お変わりありませんか。近くにあるものの、お上の仕事の関係上、制約があってお訪ねできません。お慕いするには誠に耐えがたいものがあります。[……]私はいつも過日の南皮での楽しい遊びのことを心に浮かべては、忘れられずにおります。経書について思索を重ねたり、諸子百家の書を心の赴くままに味わってみたり、弾碁にうち興じてみたり、最後には六博に夢中になったりしました。高邁な議論に心を楽しませ、箏の胸うつ調べに耳を傾けたりしましたね。北の広場へ馬を走らせ、南の館で皆で集まって食事をしました。清冽な泉に甘い瓜を浮かべたり、赤い李の実を冷たい水に浮かべましたね。太陽が沈むと、月の明かりが輝きます。馬車に二人で乗って、後園へと出かけました。車輪が静かに動きだし、付き従う者は誰も声をたてず、清らかな夜風を身に浴びながら、咽ぶような葦笛の悲しげな音色がかすかに聞こえます。[……]あの南皮での遊びと時節は同じでありますが、時はもとの如くではありません、目に触れるものはすべて同じなのに、それを見る人はもはや違っています。わが心の悲しみをどうしたらよいのでしょうか。このたび使いを鄴の都におくるついでに、わざわざ回り道をして貴方の所に立ち寄らせることといたしました。さようなら、ご自愛ください。丕が申し上げます。
竹田晃『新釈漢文大系 第83巻 文選(文章篇)中』(明治書院、1998年) 與朝歌令吳質書(魏文帝) pp.240-242
『詩経』小雅「白華」より
太子争いについて司馬懿に答える曹丕。
恋人に捨てられた者の嘆きの詩。西周の幽王(寵姫褒姒に溺れ国を滅ぼした)を妃の申后が謗った詩とされる。
鼓钟于宫
声闻于外
看似宫闱之内的纷争
这根子是在前朝吧“宮の鐘の音 外に聞こえる”
諍いが止まぬのは
前の王朝からの因縁なのか
白華菅兮 白茅束兮
之子之遠 俾我獨兮英英白雲 露彼菅茅
天步艱難 之子不猶滮池北流 浸彼稻田
嘯歌傷懷 念彼碩人樵彼桑薪 卬烘于煁
維彼碩人 實勞我心鼓鍾于宮 聲聞于外
念子懆懆 視我邁邁有鶖在梁 有鶴在林
維彼碩人 實勞我心鴛鴦在梁 戢其左翼
之子無良 二三其德有扁斯石 履之卑兮
之子之遠 俾我疧兮[……]
鐘を宮に鼓つ 聲外に聞こゆ
子を念ふこと慄慄なるも 我を視ること邁邁たり
[……]カヤをひたして菅にし、白茅を束ねましょう。あなたが去ってしまったら、私はただの独りぼっち。むくむくとした雲が、あの菅と白茅を潤す。天は私に艱難を与え、愛しいあなたは私を置き去りにする。[……]宗廟の鐘の音は、外にも響く。あなたを切なく思っても、私を顧みてもくれない。[……]
石川忠久『新釈漢文大系 第112巻 詩経(下)』(明治書院、2000年) 小雅・白華 pp.32-38
『論語』衛霊公篇より
曹丕の後継者について司馬懿に意見する柏霊筠。日本語字幕では省略されている。
自古以来
大臣干预宫闱夺嗣之争
皆无善终
远的不说
近而因为曹植
丁仪已经被陛下给灭门了
人无远虑 必有近忧
老爷 你要旱做筹谋啊嗣子争いに関われば
無惨な最期を迎えます
丁儀は曹植のために
一族を滅ぼされました
事が起きる前に
急いで策を練らなくては
子曰、人而無遠慮、必有近憂、
子の曰わく、人にして遠き慮り無ければ、必らず近き憂い有り。
先生がいわれた、「人として遠くまでの配慮がないようでは、きっと身近い心配ごとが起こる。」
金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 衛霊公第十五 p.310
『詩経』小雅「北山」より
なぜ来たのかと問う甄宓に、曹丕が答える。第6話他にも複数回登場した表現。
普天之下
莫非王土
这皇宫不就是联的家吗
是朕不该来吗
“天下に
王の地ならざるはなし”
後宮とて朕の家であろう
不都合でも?
①曹丕「燕歌行」(其一)より(?)
②『詩経』国風・鄭風「風雨」より
夜更けに眠れず月を見ている柏霊筠が司馬懿に答える。詩経「風雨」の一節と思われるが、元の詩には月は登場しない。「明月皎皎」の表現は去られた者の孤独を詠う曹丕の「燕歌行」(第11話に登場)にあり、出会いの詩である「風雨」とは対照的だが、これを意識しているとすれば、敢えて逆説的に用いているのかもしれない。
明月皎皎 良夜凄凄
既遇君子 云胡不喜
妾突然很有感触
睡不着
“皎々たる月明かり”
“君子と会い 喜ばざらんや”
月明かりに誘われ
起きてきたのです
①
[……]
明月皎皎照我牀 星漢西流夜未央
牽牛織女遙相望 爾獨何辜限河梁[……]明月皎皎として我が牀を照らし、星漢西に流れて夜未だ央きず。牽牛・織女遙かに相望む。爾獨り何の辜ありてか河梁に限らる。
通釈 [……]おりから明月の光はきらきらとわが床を照らし、天の川は西に傾いたが、まだ夜明けにはならず、その天の川を隔てて牽牛・織女の二星が遙かに相対している。ああ、この二星に何の罪があって、かくは河に隔てられる身となったのであろう。それはまたわが身の境遇に異ならない。
内田泉之助・網祐次『新釈漢文大系 第15巻 文選(詩篇)下』(明治書院、1964年) 楽府上・魏文帝 楽府二首・燕歌行 pp.478-479
②
風雨凄凄 雞鳴喈喈
旣見君子 云胡不夷風雨瀟瀟 雞鳴膠膠
旣見君子 云胡不瘳風雨如晦 雞鳴不已
旣見君子 云胡不喜風雨は凄凄たり 雞鳴は喈喈たり
旣に君子に見へり 云胡ぞ夷らがざらん
[……]
風雨にして晦し 雞鳴は已まず
旣に君子に見へり 云胡ぞ喜ばざらん通釈 風吹き雨はザーザーと降り、鶏はコココと鳴いている。こうやってあなたに会えました。私の心はやすらぎます。
[……]
風雨にふりこめられた薄暗闇に、鶏が鳴きつづける。こうやってあなたに会えました。私の心は喜びに満ちるのです。石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 鄭風・風雨 pp.236-237
軍師聯盟 39話 女たちの暗躍
曹丕「與朝歌令吳質書(朝歌令呉質に与うるの書)」より
曹真と司馬懿を庭園に誘った曹丕が昔を語る。呉質に宛てた文の一節で、第38話にも登場した。
朕 想起当五官中郎将的时候
常与诸位好友 一起并驾同游
白日既匿 继而朗月
同乘并载 以游后园
登基之后 便无这种闲情雅致了
今日 与二位
一同追昔往日之乐如何五官中郎将であった頃
友と遊んだことを思い出した
夜になれば 月明かりで
共に車に乗り 庭園に遊んだ
だが即位以来 不粋な日々だ
今日は2人と
かつてのように楽しみたい
『詩経』国風・豳風「七月」より
喪中の司馬懿が酒を遠慮しようとするが、鄧艾が献上した春酒だと言われて乾杯する。
以此春酒 以介眉寿
臣饮了这一杯
祝陛下万寿无疆
“これを春酒とし
眉寿をたすける”
飲み干して
陛下の長寿をお祈りします
六月食鬱及薁 七月亨葵及菽
八月剝棗 十月獲稻
爲此春酒 以介眉壽
七月食瓜 八月斷壺
九月叔苴 采荼薪樗
食我農夫
[……]六月は鬱と薁とを食らひ 七月は葵と菽とを亨る
八月は棗を剝ち 十月は稻を獲る
此の春酒を爲り 以て眉壽を介る
七月は瓜を食らひ 八月は壺を斷る
九月は苴を叔ひ 荼を采り樗を薪にし
我が農夫を食ふ
[……]通釈 六月にはにわうめといぬぶどう食む、七月にはかんあおいとまめを煮て食む。八月にはなつめの実を撃ち落とし、十月には稲を刈る。これで春酒を醸して(御霊屋に供え)、みなの長寿を祈る。七月にはうりを食み、八月にはふくべ切る。九月にはあさのみ拾い、にがなを摘んでしんじゅは薪。農夫たちを養うために。[……]
石川忠久『新釈漢文大系 第111巻 詩経(中)』(明治書院、1998年) 國風・豳風・七月 pp.119-124
軍師聯盟 40話 司馬懿、後宮を駆ける
『詩経』国風・王風「黍離」より
反逆を疑われる曹植が謝罪し冤罪を訴えるが、曹丕が答える。
周の旧都が荒れ果て黍が茂っている様を見て詠んだとされる詩の一節。字幕では「悲しむ理由を問う」と訳されているが、憂いが理解されず、誤解されるという意味だと思われる。
何罪之有
何来的诽谤
知我者
谓我心忧
不知我者
谓我何求いかなる罪だ
中傷とは?“我を知る者は 憂いを察し”
“知らぬ者は
悲しむ理由を問う”
彼黍離離 彼稷之苗
行邁靡靡 中心搖搖
知我者 謂我心憂
不知我者 謂我何求
悠悠蒼天 此何人哉
[……]彼の黍 離離たり 彼の稷の苗あり
行邁すること靡靡として 中心 搖搖たり
我を知る者は 我を心憂ふと謂ふ
我を知らざる者は 我を何をか求むと謂ふ
悠悠たる蒼天 此れ何人ぞや
[……]通釈 あそこのキビは垂れ下がり、あそこのコキビは苗を出す。ゆるゆると道行きて、心の中は、ゆらゆらと定まらず。私の心を知る者は、私のことを「心を憂える者」というだろう。私の心を知らぬ者(世人)は、私のことを「何かさがしている者」と思うだろう。遠きはるかなる青き空よ、ここまでにしたのは一体誰なのだ。
[……]石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 王風・黍離 pp.181-182
公開:2022.06.02 更新:2022.06.09