「軍師連盟」に登場する古典 ⑦ 31〜35話

中国ドラマ「三国志〜司馬懿 軍師連盟〜」(原題:第一部「大軍師司馬懿之軍師聯盟」、第二部「虎嘯龍吟」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。

目次

軍師聯盟 31話 夫婦の絆

韓非子かんぴし喩老ゆろう篇より

新政の実行について陳羣と語る司馬懿

长文兄
千里之堤 毁于蚁穴
咱们这儿松一松
底下就乱了
用不了两三年
新政就名存实亡
你我如何向陛下交代

長文ちょうぶん殿 僅かな油断が
大きな災いを招く

気を抜けば足元から崩れる
結局 名ばかりの改革で
終わっては
陛下に対して申し訳が立たぬ

有形之類、大必起於小、行久之物、族必起於少、故曰、天下之難事、必作於易、天下之大事、必作於細、是以欲制物者、於其細也、故曰、図難於其易也、為大於其細也、千丈之隄、以螻蟻之穴潰、百尺之室、以突隙之熛焚、故白圭之行隄也、塞其穴、丈人之慎火也、塗其隙、是以白圭無水難、丈人無火患、此皆慎易以避難、敬細以遠大者也、[……]

[……]千丈せんじょうつつみ螻蟻ろうぎの穴にりてつい、百尺の室も突隙とつげきひょうに以りてかる。[……]

すべて形のあるものでは、大きいものは必ず小さいものから始まる。長い年月をへるものでは、多いものは必ず少ないものから始まる。そこで、老子は「天下の難事も必ずやさしい事から始まり、天下の大事も必ず小さい事から始まる」と言うのである。それゆえ、物ごとを制圧しようと思う者は、そのことの小さいうちにすべきである。そこで、老子は「難しいことは、それがやさしいうちによく考え、大きなことは、それが小さいうちにうまく処理する」と言うのである。長さの千丈せんじょうの大きな堤防もおけらありの小さな穴から決潰し、百尺四方の大邸宅も煙突の火の粉から焼けてしまう。[……]やさしいことを慎重に行なって大きな困難の来るのを回避し、小さいことを慎重に扱って重大な事態をひき起こさないというものである。[……]

金谷治訳注『韓非子 第二冊』(岩波文庫、1994年) 喩老第二十一 pp.83-86

卓文君たくぶんくん白頭吟はくとうぎん」より

柏霊筠を追い出した張春華の擁護をする郭照と、反論する曹丕第17話にも登場した「白頭吟」(詳細は17話参照)は後世の偽作とされるが、それを踏まえた会話になっている。

(郭照)
陛下
姐姐的性子是贞烈了一些
可是这二十多年来
她与姐夫相濡以沫
她只愿求得一个
白首不相离的一心人
求陛下开恩

(曹丕)
愿得一心人
白首不相离

卓文君听闻司马相如纳妾
做白头吟以示决绝
司马相如幡然醒悟
与卓文君白头到老
这当中隐去了多少悲欢离别
甘苦冷暖
佳话
都是编出来骗后人的
你还信啊

(郭照)
陛下
気性の激しい義姉ですが
20年以上も
義兄あにを支えています
共白髪まで連れ添えるよう
お許しを
 

(曹丕)
“願わくは共白髪まで
 添い遂げたい”

卓文君たくぶんくん
側室を迎えた司馬相如しばしょうじょ
白頭吟はくとうぎん」で決別の意を示した
それを聞き
司馬相如しばしょうじょは悔い改めた
“愛する者との別離は
 耐え難い悲しみ”

これは後世の作り話だ
信じるのか

軍師聯盟 32話 張春華の決意

後漢書ごかんじょ五行ごぎょう志より

鍾会を不正に合格させたと信じる士子らが尚書台に詰め掛け、糾弾しようと合唱する。
作中人物たちにとっては7〜80年ほど昔、当時の朝廷の腐敗を予言したとされる童謡の言葉。

直如弦 死道边
曲如钩 反封侯

弦のごとく直き者は
路傍に死す
鈎のごとく曲がりし者は
栄達す

順帝之末、京都童謠曰、直如弦、死道邊。曲如鉤、反封侯。[……]

順帝の末、京都の童謠に曰、「直きこと弦の如ければ、道の邊に死す。曲がれること鉤の如ければ、反りて侯に封ぜらる」と。[……]

順帝じゅんてい期の末、都の童謡が、「真っ直ぐなこと弦のようであれば、路辺に死んでしまう。曲がっていること鉤のようであれば、かえって侯に封ぜられる」といっていた。[……]

渡邉義浩主編『全譯後漢書 第七册 五行志』(汲古書院、2012年) 卷十三 謡 pp.73-74

論語ろんご子罕しかん篇より

若者である鍾会鄧艾の才を見出す陳羣司馬懿。日本語でも使われる「後生畏るべし」は『論語』由来の表現。
ちなみに、ドラマでは鄧艾と同世代らしき鍾会だが、歴史上はこの当時まだ生まれてもいない。

(陈群)
没想到廷尉公能有如此之后
后生可畏
[……]

(司马懿)
长文
你来看
这可真是后生可畏

(陳羣)
廷尉ていいの子息の才能たるや
まさに“後生おそるべし”
[……]

(司馬懿)
長文ちょうぶん
見るがよい
これぞ“後生畏るべし”

【後生可畏】コウセイおそるべし

後輩の人は、年も若く気力もあるから、努力して学問を積めば、その進歩はおそるべきものである。〈論・子罕〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

子曰、後生可畏也、焉知來者之不如今也、四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已矣、

先生がいわれた、「青年は恐るべきだ。これからの人が今〔の自分〕に及ばないなどと、どうして分かるものか。ただ四十五十の年になっても評判がたたないとすれば、それはもう恐れるまでもないものだよ。」

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 子罕第九 p.179

軍師聯盟 33話 献帝の姫君たち

詩経しきょう国風こくふう周南しゅうなん桃夭とうよう」より

鄧艾子夜の結婚式にて、客の民衆たちが囃し立てながら祝う。

之子于归 宜室宜家

この子が嫁がば
よき家になる

桃之夭夭 灼灼其華
之子于歸 宜其室家

桃之夭夭 有蕡其實
之子于歸 宜其家室

桃之夭夭 其葉蓁蓁
之子于歸 宜其家人

もも夭夭えうえうたる 灼灼しゃくしゃくたりはな
 こことつぐ 室家しつかよろしからん
[……]

通釈 桃の木はわかわかしく、その花は赤々と輝く。この子がこうして嫁いでゆけば、家庭はきっとうまくゆく。[……]

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 國風・周南・桃夭 pp.27-28

番外編:『西京雑記せいけいざっき』第三より(?)

県令となり譙に赴任した夏侯玄が見上げた、役所の扁額「秦鏡高懸」。日本では馴染みのない四字熟語のためか、字幕は意訳されている。

秦鏡高懸

“厳格公正”

秦镜高悬 qín jìng gāo xuán
⇀明镜高悬 míng jìng gāo xuán

〈成〉裁判官の判決が公正である.
語源 秦の始皇帝が人心の善悪を照らし出す鏡を持っていたという伝説から.

『中日辞典(第3版)』(小学館、2016年)

高祖は初めて咸陽宮に入ると、重宝財物の府庫の中を巡り歩いた。そこに収められていた金玉珍宝は口ではいい尽くすことができないほどのものであった。[……]また方形の鏡があった。横が四尺(約九二センチメートル)、縦は五尺九寸(約一三六センチメートル)で、表裏両面がものを映し出した。人がこれに面と向かい、姿を映すと、その像を逆さまに映し出した。また手を胸に当てて来て鏡に向かうと、胃腸や五臓(心臓・腎臓・肺臓・肝臓・脾臓)が映し出され、はっきりしてその間を妨げるものもなかった。体の内即に疾病のある人が、胸に手を当ててうつしてみると、どこが病んでいるのかわかった。また女性が邪悪な心をもっていると、〔その人を映してみると〕肝が脹れて心臓が揺れ動くさまが見られた。そこで秦の始皇帝はつねに宮中に仕える女官を映して、肝が脹れて心臓が揺れ動く者があると、その女官を殺した。高祖はこれら全てを封印して閉ざし、項羽が入関するのを待った。項羽はそれらをすべて手中に収めて東へ向かった。そののちのそれらの所在は明らかではない。

福井重雅『訳注 西京雑記・独断』(東方書店、2000年)西京雑記巻上 pp.92-93

軍師聯盟 34話 鄧艾の屯田新政策

曹植そうしょく「雑詩五首」其一「明月照高樓」(「怨詩行えんしこう」、「七哀詩」)より

作中では、曹丕の寵愛を失った妃が作った詩「怨歌行えんかこう」として登場。ある人物が甄宓を陥れようと曹植の詩を改変して広めたことが判明する。

旅に出て十年も帰らない夫と、独りで住まう妻の詩。「七哀(七哀詩)」や「怨詩行」とも題され、曹植が自身を妻に、曹丕を夫に喩え、兄と立場を異にしてしまった境遇を述べたとする説がある。参照した書籍ではいずれも恨み言の詩として解釈されていたが、作中設定として、改変前の曹植の詩は必ずしも怨みの内容ではないように思われる。

上有愁思妇
悲叹有余哀
借问叹者谁
言是客子妻

行怨月色好
孤妾常独栖
行怨月色好
孤妾常独栖
君若清路尘
妾若浊水泥
沉浮各异势
会合何时谐

高殿に愁える婦人あり
尽きせぬ哀愁を漂わす
悲しみ嘆くのはどなたか
旅立った男の妻という

恨むれど月は輝けり
たった独りで残される
恨むれど月は輝けり
たった独りで残される
あなたは軽やかに舞うちり
私は濁り水に沈む泥
世は移り変われども
いつか再会せん

明月照高樓 流光正徘徊
上有愁思婦 悲歎有餘哀
借問歎者誰 言是宕子妻

君行踰十年 孤妾常獨棲
君若淸路塵 妾若濁水泥
浮沈各異勢 會合何時諧

願爲西南風 長逝入君懷
君懷時不開 賤妾當何依

通釈 [……]高どのの上にはうれわしげの女がいて、悲しみなげき、つきぬ哀れをかこつもののようである。その嘆きのぬしを誰かと尋ねれば、これは浮気男の妻ですと答える。
 さてその妻のうらみのことば、「あなたが旅に出かけてから十年余りになります。その間わたしはいつも独りずまい。あなたは清らかな路上に舞う塵のよう、風のまにまにどこへでも飛んでゆかれます、わたしはにごりえの底の泥のよう、一つところに沈みっきりです。浮くと沈むとお互いのなりゆきは全く違ってしまいました。お目にかかりますことはいつまたできますことやら。[……]

宕子妻 『文選』には客子妻とある。旅に出ているものの妻の意、また通ずる。

内田泉之助『新釈漢文大系 第60巻 玉台新詠(上)』(明治書院、1974年) 卷二 雑詩五首 其一 明月照高樓 pp.133-134

詩経しきょう魏風ぎふう碩鼠せきそ」より

幼い曹叡が、母の甄宓に『詩経』を習っている。重税に苦しむ民の詩とされるが、甄宓の境遇と行く末を暗示するような内容である。

硕鼠硕鼠 无食我黍
三岁贯女 莫我肯顾
逝将去女 适彼乐士
乐土乐土 爰得我所

大鼠おおねずみ
私のきびを食うなかれ
3年仕えても
あなたは私を顧みぬ
あなたのもとを去り
かの楽土らくどへ行かん
楽土にて
我が居場所を得んとする

碩鼠碩鼠 無食我黍
三歲貫女 莫我肯顧
逝將去女 適彼樂土
樂土樂土 爰得我所

碩鼠碩鼠 無食我麥
三歲貫女 莫我肯德
逝將去女 適彼樂國
樂國樂國 爰得我直

碩鼠碩鼠 無食我苗
三歲貫女 莫我肯勞
逝將去女 適彼樂郊
樂郊樂郊 誰之永號

碩鼠せきそ碩鼠せきそ きびくらふことかれ
三歲さんさいなんぢならへども われへておもふこと
きてまさなんぢり 樂土らくどかんとす
樂土らくど樂土らくど ここところ

[……]

通釈 大きなネズミよ、大きなネズミ、わたしのキビを食い荒らさないでくれ。長い間お前に勝手気ままにさせたのに、わたしを気にかけてくれようともしない。お前たちのもとを去り、よく治まった楽土へ行こう。楽土よ楽土、そここそわたしの落ち着き場所。[……]

(語釈より)三歳貫女「三歳」は、集伝に「其の久しきを言ふなり」といい、三年という実数ではなく、長い間をいう。[……]「女」は「汝」と同じ、なんじ。

大戴礼記だたいらいき』子張問入官篇より

司馬懿の屋敷を訪れた老夏侯惇が、この言葉を贈ると言いはじめるが……

年轻人呀
水至清则无鱼
放放手 万事都不要太心急

若者よ
水清ければうおまず”という
ここは退
何事も焦ってはならぬ

水至清则无鱼 shuǐ zhì qīng zé wú yú

あまりに潔癖で要求が高すぎると人が寄りつかない.水清ければ魚まず.
由来大戴礼だだいれい』子張問入官篇のことばから.

『超級クラウン中日辞典』(三省堂、2008年)

[……]在位の君子が民に臨んで善政を施すには、このことから民の性を知り、その知識を民の情にとどくようにしなければならないのである。[……]君子が民に臨むには、臨むに高い気位を捨てて民と同じ立場で接し、導く場合も遠くからではなく身近に近づいて導くようにしなければならない。[……]俗事に遠ざかる潔癖性から、水が至って清ければ魚は棲めなくなっていなくなる。人は隠人のように至って明察になれば人びとから疾まれ畏れられて狐立して従い来る人はなくなる。[……]

栗原圭介『新釈漢文大系 第113巻 大戴礼記』(明治書院、1991年) 子張問入官第六十五 pp.331-337

軍師聯盟 35話 司馬懿、青徐へ

曹丕そうひ典論てんろん自叙じじょ篇より

皇帝として天下を俯瞰する曹丕と、曹一族の絆を重んじる曹真との溝が深まる中、曹真がかつて曹丕と過ごした日々を語り、訴える。
『典論』は有名な「論文」篇以外に自叙文が後世に残っており、その一節。

可是臣每当这么想的时候
就会去翻陛下的典论
陛下曾经写道
时岁之暮春
勾芒司节
和凤扇物
弓燥手柔
草浅兽肥
与族兄子丹猎于邺西
终日
手获麋鹿九
雉免三十

疑念を抱くたび
私は陛下の「典論てんろん」を
読み返しました
“時は晩秋にあたり”
勾芒こうぼうが季節を司り”
“和やかな風が吹く”
“若草がでて”
“獣たちは肥ゆる”
族兄ぞくけい子丹したん
 ぎょうの西で狩猟をす”
“1日で篦鹿へらじかや鹿を9頭”
きじうさぎを30羽しとめた”

典論自敍曰:[……]建安十年,始定冀州貢良弓,獻名馬。時歲之暮春,勾芒司節,和風扇物,弓燥手柔,草淺獸肥,與族兄子丹獵于西,終日手獲麞鹿九,雉兔三十。[……]

陳壽撰、裴松之注《三國志 一 魏書〔一〕》(中華書局,1982年) 魏書 文帝紀第二 p.89

『典論』の帝の「自叙」にいう。[……]建安十年、はじめて冀州を平定したとき、わいばく(東北地方に存在した蛮族)は良弓を、燕・代は名馬を献上した。そのとき、晩春に当り、勾芒こうぼう(春の神)が季節を司り、和やかな風が万物に吹きわたり、弓は乾燥し手は柔らかく、草は萌え出たばかりで獣は肥えていた。族兄の子丹したん(曹真)とぎょうの西で狩猟したが、一日かかって手ずからくじか・鹿を九頭、きじと兎を三十羽捕獲した。[……]

陳寿、裴松之注、今鷹真・井波律子訳『正史 三国志 1 魏書Ⅰ』(ちくま学芸文庫、1992年) 文帝紀 第二 pp.212-214

賈誼かぎ鵩鳥賦ふくちょうふ」より

鄴で夏侯楙らに命を狙われる司馬懿が乱の平定のため遠征を命じられ、曹丕司馬懿の身の安全について問う柏霊筠
「鵩鳥賦」は、前漢の臣・賈誼の元へやってきた鵩鳥(フクロウ)が、テレパシーで老荘思想を語る(?)といった難解な内容で、ドラマの台詞でのニュアンスとは異なるようにも思われるが……

(曹丕)
贾谊的鵩鸟赋你可曾读过
 

(柏灵筠)
且夫天地为炉兮
造化为工

(曹丕)
阴阳为炭兮
万物为铜
合散消息兮
安有常则

你我
皆在这天下熔炉之中
朕都不敢提圆满
更何况你和他了

(曹丕)
賈誼かぎの「鵩鳥ふくちょうの賦」を
読んだことは?

(柏霊筠)
“天地を炉と
 造化をたくみと為す”

(曹丕)
“陰陽を炭と為し
 万物を銅と為す”
“合い散りて 盛衰す
 常のそくなし”

そなたも朕も炉の中にいて
安息などあろうものか
奴とて同じこと

且夫天地爲鑪兮、造化爲工。陰陽爲炭兮、萬物爲銅。合散消息兮、安有常則。千變萬化兮、未始有極。忽然爲人兮、何足控摶。化爲異物兮、又何足患。小智自私兮、賤彼貴我。達人大觀兮、物無不可。貪夫殉財兮、烈士殉名。夸者死權兮、品庶每生。述迫之徒兮、或趨東西。大人不曲兮、意變齊同。愚士繋俗兮、窘若囚拘。至人遺物兮、獨與道俱。衆人惑惑兮、好惡積億。眞人恬漠兮、獨與道息。釋智遺形兮、超然自喪。寥廓忽荒兮、與道翺翔。乘流則逝兮、得坻則止。縱軀委命兮、不私與己。其生兮若浮、其死兮若休。澹乎若深泉之靜、泛乎若不繋之舟。不以生故自寶兮、養空而浮。德人無累、知命不憂。細故帶芥、何足以疑。

通釈 [……]さらに言えば、天地は炉のようなもの、造化は鋳物師のようなもの。陰陽の気は炭であり、万物は材料の銅である。万物が合散し盛衰することには、一定の法則など有りはしない。千変万化し、最初から終着点など無いのだ。人間にしても、突然人間となったのであり、執着するには及ばない。逆に、変化して他の物になったとしても、憂い悲しむ必要は無い。[……]たまたま生きているからといって、自分の生命を大切には思わず、空虚の徳を修養して、自由にふるまう。このように徳の充実した人は、何の煩いもなく、天命を知っているため、憂うることは無い。些細な出来事などで、心を惑わす必要が有ろうか。

論語ろんご八佾はちいつ篇より
詩経しきょう邶風はいふう匏有苦葉ほうゆうこよう」より
大戴礼記だたいらいき』曾子立事篇より

夏侯玄司馬師が狩りの腕を競う。短い会話の中に、様々な古典が引用されている。なお①は第7話にも登場。③は第1話に登場したものと同じ一節。

②の「匏有苦葉ほうゆうこよう」は、衛の宣公の礼に背いた婚姻を風刺する詩とされるが、諸説ある。夏侯徽との婚姻が決まったことを背景にした台詞と思われるが、この部分は正しい婚姻をいうことになり、ネガティブな意味は無さそうである。なお「雁」と「旦」で韻を踏んでいるが、なぜか台詞では「〜雁鳴」と逆になっている。

(夏侯玄)
君子之争 必也射乎
胜负未分
为何退缩啊

(司马师)
雍雍雁鸣 旭日始旦
君子不绝人之欢
不尽人之礼

(夏侯玄)
君子は争わず 弓を競う
勝負がつかぬうちに撤退か
 

(司馬師)
かりの声 旭日きゅうじつに響く
君子は人の喜びを絶たぬ

子曰、君子無所爭、必也射乎、揖讓而升下、而飮、其爭也君子、

子ののたまわく、君子は争う所なし。必らずやしゃか。揖讓ゆうじょうしてのぼくだり、而して飲ましむ。其の争いは君子なり。

先生がいわれた、「君子は何事にも争わない。あるとすれば弓争いだろう。〔それにしても〕会釈えしゃくし譲りあって登り降りし、さて〔競技が終わると勝者が敗者に〕酒を飲ませる。その争いは君子的だ。」

*弓争い——射礼のこと。『儀礼ぎらい』の郷射礼きょうしゃれいと大射礼にそのさだめがある。[……]

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 八佾第三 p.55

匏有苦葉 濟有深涉
深則厲 淺則揭

有瀰濟盈 有鷕雉鳴
濟盈不濡軌 雉鳴求其牡

雝雝鳴鴈 旭日始旦
士如歸妻 迨冰未泮

招招舟子 人涉卬否
人涉卬否 卬須我友

通釈 [……]雁の鳴き声がやわらかくひびき、朝日が昇りはじめる。若者よ、もし妻をめとるなら、氷の溶けないうちに。[……]

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 邶風・匏有苦葉 pp.95-97

[……]君子不絕人之歡、不盡人之禮。[……]

君子くんしひとよろこびをたずひとれいくさず。

[……]君子は飲食の饋礼においても人の歓待を絶ちきるようなことはしないのであり、服物の礼においてもまごころをもって待つのである。[……]

栗原圭介『新釈漢文大系 第113巻 大戴礼記』(明治書院、1991年) 曾子立事第四十九 pp.188-190

公開:2022.05.25 更新:2022.06.18

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