「軍師連盟」に登場する古典 ④ 16〜20話

中国ドラマ「三国志〜司馬懿 軍師連盟〜」(原題:第一部「大軍師司馬懿之軍師聯盟」、第二部「虎嘯龍吟」)の台詞に引用される故事・詩などの出典を調べた。赤枠は本編の字幕より引用。

目次

軍師聯盟 16話 荀彧の決意

詩経しきょう小雅しょうが北山ほくさん」より

曹丕が投獄され、連座させられる前に鄴を出て逃げるように諭す司馬防に、司馬懿が反論する。「普天ふてん(=溥天)のもと王土おうどあらざるはし」。(日本語字幕では省略されている)第6話第10話にも登場した表現。

普天之下莫非王土
就算我带着家眷跑回老家
大王不会派人来抓我

故郷に帰ったところで
大王の追っ手に捕まります

管子かんし形勢けいせい篇より

反逆を疑われている曹丕を、丁儀が尋問する。台詞どおり『管子』にある表現だが、論の主題ではない。

管子曰
弱子下瓦 慈母操棰
慈母尚且如此
纵然大王恩慈
也容不得你诽谤君父
中郎将 国法无情
你就不要希图狡辩了

管子かんしにいわく
慈母じぼ 弱子じゃくしむちを取る”
子が過ちを犯せば
大王も厳罰に処する
ましてや反逆の罪は重い
中郎将
観念して 白状したらどうです

[……]生棟覆屋、怨怒不及。弱子下瓦、慈母操箠。天道之極、遠者自親。[……]

[……]生木を家の棟木むなぎに使えば、棟木がたわんで屋根をこわすことがあるが、これは自然の現象であるから恨んだり怒ったりする人はいない。しかし幼児が屋根から瓦を落とせぱ、これは有意のいたずらであるから、慈愛深い母親もむちを手にしてしかりつける。これが天の道と人の道との相違である。[……]

遠藤哲夫『新釈漢文大系 第42巻 管子(上)』(明治書院、1989年) 形勢第二 pp.35-36

老子ろうし』易性篇より

才知をひけらかす楊修の欠点を指摘する鍾会が、父・鍾繇に持論を語る。

儿子虽然不懂政治 不懂魏王
但是儿子懂得什么是夫唯不争
故无尤

 
[……]
所以依儿子所见
真正的聪明
便是审时度势 不争而争

私が心得ているのは
老子ろうしの言葉です
“それ ただ争わず”
“ゆえにとがなし”

[……]
私の考える真の賢人とは
時機を見極め
争わずして勝つ者です

上善若水。水善利萬物而不爭。處衆人之所惡。故幾於道。居善地、心善淵、與善仁、言善信、政善治、事善能、動善時。夫唯不爭、故無尤。

上善じゃうぜんみづごとし。みづ萬物ばんぶつしてあらそはず。衆人しゅうじんにくところる。ゆえみちちかし。きょにはしとし、こころえんなるをしとし、あたふるにはじんなるをしとし、げんしんなるをしとし、せいをさまるをしとし、ことにはのうなるをしとし、うごくにはときなるをしとす。ただあらそはず、ゆえとがし。

通釈 最上の善は、譬えて見ると、水のようなものである。水は万物に利益を与えていながら、円い器に入れば円くなり、四角な器に入れば四角になるといったように、決して他と争わない。そして多くの人々のいやがる低い位置に身を置く。だから、水こそ道に近い存在と言える。善とは次のようなものである。その起居生活は大地の如く落ち着いているのが善く、心は淵の如く静かで奥深いのが善く、与えるには報いを求めることなく仁愛をもってするのが善く、言ったことは必ず実行してまことなるが良く、政治は平安無事に治まることが善く、事をなすには能力のあるが善く、動くにあたっては時にかなうのが善い。」そもそも水の如くに決して争わないからこそ、他からうらみとがめられないのだ。

阿部吉雄・山本敏夫・市川安司・遠藤哲夫『新釈漢文大系 第7巻 老子・荘子(上)』(明治書院、1966年) 易性第八 pp.23-24

軍師聯盟 17話 書簡の真偽

曹丕そうひ典論てんろん論文ろんぶん篇より

牢で死を前に詩を書き残したいと語る曹丕が、郭照に記させる。
第9話にも登場した有名な一説と、その続き。人の生や栄華の有限に比して、文章は永遠に残ることを述べる。

文章
经国之大业
不朽之盛事
年寿有时而尽
荣乐止乎其身
二者必至其常期
未若文章之无穷

文章は
経国けいこくの大業にして
不朽の盛事せいじなり
年寿ねんじゅは時ありて尽き
栄楽えいらくはその身にとどまる
二者にしゃは必至の常期じょうきあり
いまだ文章の
無窮むきゅうなるにかず

[……]蓋文章經國之大業、不朽之盛事。年壽有時而盡、榮樂止乎其身。二者必至之常期、未若文章之無窮。是以古之作者、寄身於翰墨,見意於篇籍、不假良史之辭、不託飛馳之勢、而聲名自傳於後。故西伯幽而演易、周旦顯而制禮。不以隱約而弗務、不以康樂而加思。[……]

[……]けだ文章ぶんしゃう經國けいこく大業たいげふにして、不朽ふきう盛事せいじなり。年壽ねんじゅときりてき、榮樂えいらくとどまる。二者にしゃかならいたるの常期じゃうきあり、いま文章ぶんしゃう無窮むきゅうなるにかず。ここもっいにしへ作者さくしゃ翰墨かんぼくせ、篇籍へんせきあらはし、良史りゃうしらず、飛馳ひちいきほひにたくせずして、聲名せいめいおのづかのちつたはる。ゆゑ西伯せいはくいうせられてえきベ、周旦しうたんあらはれてれいせいす。隱約いんやくもっつとめずんばあらず、康樂かうらくもっおもひをくはへず。[……]

[……]そもそも、文学は国を治めるうえでの重要な事業であり、永久に滅びることのない偉大な営みである。人の寿命はしかるべき時がくると尽き、栄華逸楽も生きている間だけのことである。この二つは、必ず行きつ(き消滅すべ)く定まった時期があり、文学が永遠であるのに及ばない。そこで、古の作者は、執筆活動に身をささげ、書物に自分のおもいを表し、すぐれた史官のことばも借りず、権力者の力にも頼らず、その名声がおのずから後世に伝えられたのである。それ故、西伯は紂王に幽閉されたときに『易』の理を敷衍し、周公旦は摂政という高い位にあって礼を制定した。この二人は、苦しい境遇にあるからといって著述に務めることを怠ったわけではなく、安楽な生活をしているがゆえに著述に意を用いたわけでもない。[……]

魏文帝「典論論文」より  竹田晃『新釈漢文大系 第93巻 文選(文章篇)下』(明治書院、2001年) pp.199-200

卓文君たくぶんくん白頭吟はくとうぎん」より

郭照のことが忘れられない司馬孚が理想を語る。
前漢の宮廷詩人司馬相如しばしょうじょと駆け落ちし妻となった卓文君が、夫が心変わりし妾を持とうとしたために別れを詠んだ詩の一節(ただし後世の偽作とされる)。司馬相如は反省したようだが、詩自体はネガティブな内容であり、司馬孚の理想は叶わないという含みもあるのかもしれない。

愿得一心人
白首不相离

“願わくは 誰かと
 共白髪まで添い遂げたい”

皚如山上雪
皎若雲閒月
聞君有兩意
故來相決絕
今日斗酒會
明旦溝水頭
躞蹀御溝上
溝水東西流
淒淒復淒淒
嫁娶不須啼
願得一心人
白頭不相離

竹竿何嫋嫋
魚尾何簁簁
男兒重意氣
何用錢刀爲

[……]ねがはくは一心いっしんひとて、白頭はくとうまであひはなれざらん。[……]

 わが身の潔白なことは山上の雪の如く、清明なことは雲間くもまを照らす月のようである。ところが、聞けばあなたは心がわりをされたとのこと。それでながのお別れをしようとわざわざまいりました。[……]
 女がおよめにゆくときはもの悲しくなるものだが、決して泣くにはあたりませぬ。まごころもった人を得て、ともに白髪の末までもそいとげることです。
 釣糸をたれた竹竿たけざおの、なんとなよなよとしなやかなことよ。その釣糸のえさに尾を動かしてよりくる魚の姿よ。ああ、男というものは意気が大切、金銭などなんの用になりましょう。

内田泉之助『漢詩大系 第四巻 古詩源 上』(集英社、1964年) 卷二 漢詩 pp.88-90

論語ろんご子路しろ篇より

司馬門の事件で牢に入れられている曹植に、曹操が後継者としたいのは自分にはない仁徳に期待してのことだと語る。台詞にあるように、孔子の言葉。日本語字幕では意訳されている。

比才华更重要的是你的仁德
这是为父缺乏的东西
孔子说
如有王者 必世而后仁
他这句话说得倒是对的

才能よりも重要なのが
お前に備わる仁徳だ
私に欠けているものだ
“仁徳に満ちる国を作るには
 聖王でも一世代を費やす”

孔子こうしの言葉は正しい

子曰、如有王者、必世而後仁、

子の曰わく、し王者あるも、必らずにしてのちに仁ならん。

先生がいわれた、「もし〔天命をうけた〕王者おうじゃが出ても、〔今の乱世では〕きっと一代(三十年)たってからはじめて仁〔の世界〕になるのだろう。

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 子路第十三 p.255

詩経しきょう邶風はいふう静女せいじょ」より

偽造された文を巡って徹夜で筆跡鑑定をする鍾繇に、鍾会が食事を運んで来ながら歌う。

静女其姝
俟我于城隅

しとやかな可愛い娘よ
私を城壁の隅で待つという

靜女其姝 俟我於城隅
愛而不見 搔首踟躕

靜女其孌 貽我彤管
彤管有煒 說懌女美

自牧歸荑 洵美且異
匪女之爲美 美人之貽

靜女せいじょうるはし われ城隅じゃうぐう
あいとしてへず あたまきて踟躕ちちう
[……]

通釈 うるわしきひとは姿美しく、私を町はずれで待っている。ぼんやりかすんで姿が見えず、頭をかきつつゆきなずむ。
 うるわしきひとは姿したわしく、私に彤管つばなおくってくれた。彤管つばなはつややかに赤く、その人の美しさに心よろこふ。
 郊外の野から私につばなをおくってくれた。その美しさと神々しさに私はまことに心うたれる。それはそのひとが美しい上に、そのひとからいただいたものであるが故に。

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 邶風・靜女 pp.121-122

軍師聯盟 18話 荀彧との誓い

曹丕そうひ典論てんろん論文ろんぶん篇より

引き続き、牢で著述している曹丕第17話に続く内容で、古代の偉人の例を述べる。「西伯」は周の文王、「周旦」は周公旦。(引用は17話参照)

故西伯幽而演易
周旦显而制礼
不以隐约而弗务
不以康乐而加思

西伯せいはく 幽されてえきを述べ
周旦しゅうたん 顕達けんたつし礼を制す
穏約いんやくをもって務め
康楽こうらくをもって思いくわうる

軍師聯盟 19話 司馬兄弟の懇請

史記しき予譲よじょう伝より

司馬朗を助けようと嘆願する司馬懿のために、郭照曹丕を説得する。主君に尊重されればそれに報いて忠を尽くすように、主君の側は忠を尽くす臣を尊重しなければならないのではないか、という理屈。
戦国時代の晋の予譲が、主君智伯を滅ぼした趙襄子に仇討ちをしようとした故事に基づく表現か。

妾听过一句话
国士待之 国士报之
不知这句话反过来念对不对
国士报之 国士待之

国士こくしとして遇され
 国士として報いん”

逆にすれば どうでしょう
“国士として報いて
 国士として遇さる”

[……]襄子乃數豫讓曰、子不嘗事范・中行氏乎。智伯盡滅之。而子不爲報讎、而反委質臣於智伯。智伯亦已死矣。而子獨何以爲之報讎之深也。豫讓曰、臣事范・中行氏、范・中行氏皆衆人遇我。我故衆人報之。至於智伯、國士遇我。我故國士報之[……]

[……]豫讓よじゃういはく、しんはん中行氏ちゅうかうしつかへしも、はん中行氏ちゅうかうしは、みな衆人しゅうじんもてわれぐうせり。われゆゑ衆人しゅうじんもてこれむくゆ。智伯ちはくいたりては、國士こくしもてわれぐうせり。われゆゑ國士こくしもてこれむくゆるなり、と。[……]

通釈 [……]趙襄子はあらためて予譲を問いつめて言った、「そなたははじめは范氏と中行氏につかえたのではなかったか。智伯はこの両氏とも滅ぼし去ったのだ。しかるにそなたは二人のために仇を報ずることなく、かえってみずから求めて智伯の臣となった。その智伯もまたすでにこの世のものではない。にもかかわらずそなただけは何ゆえにかくも智伯のために飽くまでも仇を報じようとするのか」と。予譲は答えた、「それがしが范氏と中行氏につかえた際には、両氏ともにそれがしをはした者として処遇されました。だからそれがしもそれなりの立場で応じたのです。ところが智伯どのにおかれては、国士としてそれがしを遇してくださいました。それがしも当然国士としてご恩に報いようとしているのでございます」と。[……]

国士 一国の傑出した人物。

水沢利忠『新釈漢文大系 第89巻 史記 九(列伝二)』(明治書院、1993年) 刺客列伝第二十六 pp.401-402

史記しき鄒陽すうよう伝より

兄を助けるため庭で一晩中叩頭して嘆願して雪を被った司馬懿に、曹丕が語る。台詞では「白发(白髪)」だが、「白頭 新の如し」という成語もあり、同様の意味だろう。

你怎么像伍子胥过昭关一样
一夜白了头
是啊
这世上有一种情感
白发如新
我虽然习惯了这世间的冷漠
可我不希望我们两个也是如此

一夜にして白髪になった
伍子胥ごししょのようだぞ
そうだな
白髪になっても
心が通わぬ者もいる

人の世の無情に
慣れてはいても
お前とは そうありたくない

【白頭如新】ハクトウシンのごとし・ハクトウあらたなるがごとし

互いに白髪頭の老人になるまで付き合っても、気持ちが通じ合わなければ、昨今の交わりと変わらない。〈史・鄒陽伝〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

[……]諺曰、有白頭如新、傾蓋如故。何則知與不知也。[……]

ことわざいはく、白頭はくとうまでしんごとがいかたむけてごとり、と。なんとなればすなはるとらざるとなり。

[……]ことわざに『白髪頭になるまで長く交際しても、新しく知り合ったかのように心を許し合えず、道で会って車のおおいを傾けて立ち話をしただけでも、古くからの親友と同じように、深く心が通じる』とあります。なぜそうなるかといえば、相手の心を知るか知らないかの違いであります。[……]

水沢利忠『新釈漢文大系 第89巻 史記 九(列伝二)』(明治書院、1993年) 魯仲連鄒陽列伝第二十三 pp.316-335

論語ろんご子張しちょう篇より

曹丕に仕えることを決めた司馬孚を案じ、本当に仕官するのかと尋ねる司馬懿司馬孚が答える。孔子の弟子子夏の言葉。

学而优则仕
我也不能在家里老吃白食
况且中郎将肯要我
不知道天下多少读书人羨慕

“学びて余力あらば
 出仕すべし”
ですよ
中郎将に仕えるのは
読書人の誉れです

子夏曰、仕而優則學、學而優則仕、

子夏が曰わく、仕えて優なれば則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う。

子夏がいった、「官について余力があれば学問し、学問して余力があれば官につく。

金谷治訳注『論語』(岩波文庫、1963年) 子張第十九 p.384

詩経しきょう邶風はいふう二子乗舟にしじょうしゅう」より

先の場面に続き、官界は人を変えてしまうから、純粋で善良ななお前を司馬家に残したいと司馬懿は語るが、司馬孚の決意は固い。日本語字幕では詩の部分は省略されている。
詩の「二子」は、衛の宣公の太子とその弟寿を暗示するとされる。兄が自ら弟寿の身代わりとなって殺され、それを知った寿もまた殺され兄弟が運命を共にした故事。ただし、二人は異母兄弟で、は父宣公がその庶母と密通して生まれた子であり、暗殺計画の因には寿の実母と同母兄による陰謀があるなど、複雑な背景がある。なお、引用した『新釈漢文大系』ではこの説は誤りとし、人形を犠牲として河神に捧げる風習を詠んだものとしている。

二子乘舟 泛泛其景
我与二哥共乘一舟
我相信二哥选的人
也相信阿照选的人
不会不义不道

兄弟ならば
同じ舟に乗るものです
兄上と阿照あしょうが選んだ方を
信じます

二子乘舟 汎汎其景
願言思子 中心養養
二子乘舟 汎汎其逝
願言思子 不瑕有害

二子にし ふねり 汎汎へんぺんとしてとほざかる
[……]

通釈 二人のお方は舟に乗り、浮かび流れて遠ざかる。彼らのことを思いわびれば、心のうちはゆらめきうれう。
 二人のお方は舟に乗り、漂いながら流れさる。彼らのことを思いわび、禍なからんようにと祈る。

石川忠久『新釈漢文大系 第110巻 詩経(上)』(明治書院、1997年) 邶風・二子乘舟 pp.126-127

書経しょきょう』(尚書しょうしょ説命えつめい中篇より

先の場面に続き、話に必死で料理していた鍋を忘れる司馬孚に、司馬懿が諭す。字幕のとおり、日本語でも広く使われる「備えあれば憂いなし」だが、かつて司馬懿が司馬家の運命について、司馬孚によく教えておけばこんなことにはならなかった、と冗談まじりに語ったこともある『尚書』(書経)に由来する。殷の宰相傅説ふえつの言葉。

你看
思则有备 有备而无患
你看你这毛手毛脚的样子
你能当官 你能随机应变

見ろ
“備えあれば憂いなし”
仕官を望むなら
うまく立ち回れるようになれ

惟說命總百官。乃進于王曰[……]惟事事、乃其有備、有備無患。無啓寵納侮。無恥過作非。[……]

さて傅説は王から命ぜられて百官を統轄とうかつする仕事をした。そこで、王に進言していった。「[……]すべての事を着実に行っていけば、そこで初めて物への備えができてきます。物への備えができれば、心配事はなくなります。寵幸の道を開いて、逆に人から侮りを受けるようなことをしてはなりません。過ちを改めることを恥じて、逆に悪事を犯すことをしてはなりません。[……]

小野沢精一『新釈漢文大系 第26巻 書経(下)』(明治書院、1985年) 說命中 pp.441-442

軍師聯盟 20話 鶏肋の意

後漢書ごかんじょ礼儀れいぎ志・大儺たいだより

司馬朗が疫病に罹り、御祓をする司馬家。装束や台詞など、『後漢書』に記されている「大儺」の儀式を参考にしたものか。本来は宮中の悪鬼払いの儀式で、臘日(冬至後の第三の戌の日)の前日に行われる。※原文台詞中の「女」は女性の意味ではなく二人称の「なんじ」。

凡使十二神追恶凶
赫女躯 拉女干
节解女肉 抽女肺肠
女不急去 后者为粮

十二神よ 悪鬼を追え
体を割き 肝をひしぐ
肉を刻み 腸をえぐる
速やかに逃げよ
餌食となるなかれ

先臘一日、大儺。謂之逐疫。其儀、選中黃門子弟年十歲以上十二以下百二十人、爲侲子。皆赤幘皁製、執大鼗。方相氏黃金四目、蒙熊皮、玄衣朱裳、執戈揚盾。十二獸有衣毛・角。中黃門行之、宂從僕射將之、以逐惡鬼于禁中。夜漏上水、朝臣會、侍中・尙書・御史・謁者・虎賁・羽林郞將執事、皆赤幘陛衞。乘輿御前殿。黃門令奏曰、侲子備、逐疫。於是中黃門倡、侲子和曰、甲作食?、胇胃食虎、雄伯食魅、騰簡食不祥、攬諸食咎。伯奇食夢、強梁・祖明共食磔死・寄生、委隨食觀、錯斷食巨、窮奇・騰根共食蠱。凡使十二神追惡凶、赫女軀、拉女幹、節解女肉、抽女肺・腸。女不急去、後者爲糧。因作方相與十二獸儛。嚾呼、周徧前後省三過、持炬火、送疫出端門。門外騶騎傳炬出宮、司馬闕門門外五營騎士傳火棄雒水中。百官官府各以木面獸、能爲儺人師。訖、設桃梗・鬱櫑・葦茭。畢、執事陛者罷。葦戟・桃杖以賜公・卿・將軍・特侯・諸侯云。

 ろう(祭)の一日前に、大いに鬼やらいを行う。これを逐疫ちくえきと呼ぶ。その儀式の次第は、(まず)中黃門ちゅうこうもんの子弟の内から年齢十歳以上十二歳以下の少年 百二十人を選んで、侲子しんしに仕立てる。(彼らは)みな赤いずきん黒い衣服という出で立ちで、大型のふりたいこを手にする。方相ほうそう氏は黄金色の目が四つ付いた面をつけ、熊の毛皮を羽織り、黒い衣服に朱色のうわぎを着用し、(右手に)ほこをとり(左手に)たてをとって(それを頭上に)ふりかざす。方相氏の相手役となる十二身体の神獣は体毛におおわれ角が生えている(といった扮装である)。中黃門は儀式を進行させ、宂從僕射じょうじゅうぼくやは方相や十二獣を指揮して、宮中の悪鬼を追い立てるのである。[……]中黃門が(まず祝詞を)唱え、侲子はこれに、「[……]およそ十二(匹)の神獣を駆使して、悪事・凶事(をなす鬼)を追い立て、お前達の体をあぶり、背骨を砕き、肉を切り刻み、肺と腸をえぐりだすぞ。鬼どもよ急いで(ここから)立ち去らず、遅れれば(神獣の)餌となると知れ」と唱和する。(この唱和を)うけて方相と十二(体)の神獣(に扮した人々)は(共同して)舞を踊る。雄叫びをあげ、前後をくまなく歩き三度行き来するが(その度ごとに)後ろを振り返りながら、松明《たいまつ》をかざして、疫(鬼)を追い立てながら正門の外に出る。[……]

渡邉義浩主編『全譯後漢書 第四册 禮儀志』(汲古書院、2002年) 卷中 大儺 pp.161-169

春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん公十四年より

楊修関羽に対抗する策に乗じて遷都を進言し、曹植を有利にしようと画策するが、今は楊修と争っている場合ではないと考える司馬懿張春華に考えを語る。「皮の存せざれば、毛はいずくにかかん」。元となる故事はなかなか不穏な内容だが、諺として「物事は土台がなければ存在できない」の意で使われるようである。日本語字幕では意訳されている。

我是来打仗的 不是来与他争的
现在最关键的 是想出第三条路
如何退关羽
这一仗要是输了
皮之不存 毛将焉附

私は戦のために ここへ来た
関羽かんうを撃退する第3の策が
要となる
戦に負ければ
太子争いどころではない

皮之不存、毛将安傅 かわのそんセざレバ、けはタいずクニカつカン

皮がなくなったら、毛はいったい何に付着しようか〈左・僖一四〉

『全訳 漢辞海(第四版)』(三省堂、2017年)

冬、秦饑。使乞糴于晉。晉人弗與。慶鄭曰、背施無親。幸災不仁。貪愛不祥。怒鄰不義。四德皆失、何以守國、虢射曰、皮之不存、毛將安傅。慶鄭曰、棄信背鄰、患孰恤之。無信患作、失援必斃。是則然矣。虢射曰、無損於怨、而厚於寇、不如勿予 慶鄭曰、背施幸災、民所棄也。近猶讎之。況怨敵乎。弗聽。退曰、君其悔是哉。

通釈 冬に秦は不作で晋に輸出米を依頼したが晋の人は与えなかった。晋の大夫の慶鄭は、「前に受けた恩にそむくことは隣国の親しみをなくすことになり、人の災難を幸いとして喜ぶことは不仁であり、人の恩恵をむさぼるのは不善なことであり、隣国を怒らすことは不義である。以上の四つの徳(親・仁・祥・義)がみな失われては、どうして国を守ってゆくことができようか」といった。すると虢射は、「皮がなければ、毛のつき場所があるまい」といって、すでに秦の恩恵にそむいて約束の土地を贈らないからには、今さら輸出米を出したところで何にもならないという意見を述べた。[……]慶鄭はやむなく役所をさがって、「君にはきっと後悔されることがあろうよ」といった。

皮之不存、毛将安傅 皮のないところには、毛はどこにもつき場所がない。晋が秦の恩恵にそむいて、賂として約束した土地を贈らないことは(僖公十五年参照)、秦の恨みを増大するもので、そうした秦に米を送っても何にもならない、という意。皮は賂として贈る土地、毛は輸出米にたとえる。

曹植そうしょく白馬篇はくばへん」より

戦陣で酒杯を交わしながら曹植が詠み、楊修が唱和する。第12話にも登場した曹植の詩。

弃身锋刃端
性命安可怀
父母且不顾
何言子与妻
名编壮士籍
不得中顾私
捐躯赴国难
视死忽如归

身を戦場に投じては
命 惜しむべからず
父母なお顧みず
なんぞ子と妻を言わん
名を壮士に数えられ
己の命 顧みられず
からだを捨て 国難に赴く
死を知すること
帰るがごとし

孫子そんし虚実きょじつ篇より

関羽を討つ策について、曹操に進言する司馬懿。「水に常形なく、兵に常勢なし」と孫子の兵法を用いるが、日本語字幕では意訳されている。※引用した金谷治訳『新訂 孫子』では「水」の字は無いとしている。

大王 昔日孙刘之联盟
皆因大王大兵压境
水无常形 兵无常势
今刘备羽翼渐丰
下益州 取汉中
却占据东吴荆州拒不归还
孙权有此强邻在侧 难以安枕

大王
そん りゅうの同盟は
大王にあらがうためです
戦は常に変化します
劉備りゅうびは勢力を
えき漢中かんちゅうまで広げ
荊州の返還も拒んでいます
孫権そんけんには脅威となりつつある

夫兵形象水、水之形、避高而趨下、兵之形、避實而擊虛、水因地而制流、兵因敵而制勝、故兵無常勢、水無常形*、能因敵變化而取勝者、謂之神、故五行無常勝、四時無常位、日有短長、月有死生。

夫れ兵の形は水にかたどる。水の行は高きを避けてひくきにおもむく。兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地にりて行を制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に兵に常勢なく、常形なし。[……]

* 竹簡本には「水」の字が無い。ここは専ら兵をいうので「水」の字の無い方がよい。

そもそも軍の形は水の形のようなものである。水の流れは高い所を避けて低い所へと走るが、〔そのように〕軍の形も敵の備えをした実の所を避けてすき﹅﹅のある虚の所を攻撃するのである。水は地形のままに従って流れを定めるが、〔そのように〕軍も敵情のままに従って勝利を決する。だから、軍にはきまった勢いというものがなく、またきまった形というものもない。[……]

金谷治訳注『新訂 孫子』(岩波文庫、2000年) 虛實篇第六 pp.87-88

公開:2022.05.02 更新:2022.05.21

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