Tags: 陸抗

  • 2014.03.08 (正)羊陸之交 (誤)陸羊之交、という話
  • 羊祜と陸抗の故事からできた「羊陸之交」という成語があるらしい。というのは、陸抗に興味を持ってから少し経った2007年頃に、中国語圏のサイトなどで知ったことだった。(例:教育部重編國語辭典修訂本 > 羊陸之交)『三国志』『晋書』他には「羊陸之交」という表現はないが、特に具体的な出典・用例を確認し…
  • 陸抗の本拠地、楽郷について
  • 楽郷の位置陸抗は晩年、信陵・西陵・夷道・楽郷・公安の各軍を統括し、その本拠地を楽郷に置いた。楽郷城は南郡松滋県、現代の湖北省荊州区松滋市付近にあった。楽郷城について胡三省曰:「樂鄉城在松滋縣東。樂郷城北江中有沙磧,對岸踏淺可渡,江津要害之地也。方輿紀要:「樂鄉城今松滋縣東七十里,三國吴所築朱然嘗鎮此…
  • 歩闡の乱(西陵の戦い) 1 - 概要
  • 総司令官兵力結果呉軍陸抗3万以上勝利晋軍歩闡/羊祜不明/8万余敗北歩闡(ほせん)率いる西陵城の反乱軍、それを救援に来た羊祜(ようこ)率いる晋軍と、反乱の鎮圧にあたった陸抗(りくこう)率いる呉軍との一連の戦いは、判明している陸抗の記録において唯一の、しかし非常に華々しい戦勝であり、その記述は『三国志』…
  • 永安の戦い 2 - 敗戦はやはり陸抗のせいかもしれない
  • 蜀漢滅亡直後に起きた永安の戦い(仮称)で陸抗が羅憲に敗北したと言われていることについて、個人的には、敗戦は総司令官がむやみと援軍を送ったせいで、そして総司令官は少なくとも陸抗ではない、という結論に一度は達してみた。が。蜀漢滅亡の報と『建康実録』による微妙な異説蜀が滅亡したという報せを呉の都にもたらし…
  • 陸抗の諡は「武侯」
  • 陸抗(りくこう)の諡(おくりな)は『三国志』には載っていないが、陸雲(りくうん)(陸抗の子、西晋の文人として知られる)の「祖考頌(そこうしょう)」という作品で判明するらしい、と聞いて調べてみた。祖考頌(有序)雲之世族,承黃虞之苗緒,裔靈根之遺芳。用能枝播千條,穎振萬葉。繁衍固於三代,饗祀存乎百世。豈…
  • 2007.12.11 三国演義の挿絵ほか
  • 「クウノフタヒ」のみなとさんと、図書館にて演義の絵の本などをチェック→某所チャイナショッピングモール散策してきました。図書館の目玉は『中国古典文学挿画集成 1 三国志演義』(上下巻、滝本弘之編、遊子館)。コピーしてきたので幾つかスキャンしてみました。いつの時代の絵か確認し忘れましたが、著作権は切れて…
  • 陸抗の妻と子女
  • 陸氏系図陸抗の妻・張氏陸抗の妻の張氏は、張承(張昭の息子)と諸葛氏(諸葛瑾の娘)の間の子。陸抗の次男の陸景は、この張氏の子である。しかしこの張氏は諸葛恪が誅殺された際に(姪にあたるため)離縁されてしまった。この時代、離婚も再婚も意外に多く、不祥事を起こしたり誅殺された者の娘が離縁されることはよくある…
  • 歩闡の乱 2 - 兵力と羊祜の作戦
  • 西陵の戦いの兵力歩闡の乱における西陵の戦いにて、陸抗は晋軍に挟撃されながらも寡兵で打ち負かしたというイメージがあるが、具体的には何人対何人だったのか。敗戦後の晋で羊祜が訴えられた上奏によって、この戦いにおける兵力を知ることができる。それによれば、晋救援軍は全体で八万、陸抗の軍は三万弱。及還鎭,吳西陵…
  • 楊肇 - 陸抗に敗れた非運の忠臣
  • 西晋の武将、楊肇(ようちょう)。残念ながら『晋書』に彼の伝はないが、陸抗ファン的には重要人物であり、歩闡の乱(西陵の戦い)において一番気の毒なことになった人でもある。が、2007年春現在Wikipediaにも記事が作られていないというマイナーぶりゆえに、敢えて細かい経歴まで書いておくことにする。楊肇…
  • 陸抗と羊祜 - 「羊陸の交わり」の真実
  • 羊陸の交わり西晋の羊祜(ようこ)と呉の陸抗(りくこう)とは、敵ながらも互いに信義を持って相対した。歩闡(ほせん)の乱(西陵の戦い)を巡っては晋呉両軍の総司令官として戦った一方で、酒や薬を贈りあっては、毒かと疑うこともなくこれを飲んだ。彼らの結んだ信義は「羊陸之交(羊陸の交わり)」という故事成語にもな…
  • 歩闡の乱 3 - 西陵の戦いと二重封鎖陣地
  • 歩闡の乱における西陵の攻城戦では、陸抗は配下の将軍らの反対を押し切って、「陣地を赤谿から故市まで続げて、内側では歩闡を封じこめ、外に対しては敵の来襲を防ぎ止めようとした。」という。シミュレーションゲーム「三國志」の武将プロフィールにも、「魏軍と反乱軍に挟撃されながらも、二重の城壁を築き勝利した」など…
  • 孫晧時代のキャリアの疑惑
  • 孫晧は陸抗を昇進させたくなかった?陸抗は264年、おそらく孫晧の即位に伴う人事異動の際に、益州牧に任命されている。しかし益州とは旧蜀漢の方面であり、この年には既に魏領。実際の領土があるわけではなく、いかにも、肩書きはあげるが実権はあげないよ! って感じの任命。軍事面では270年に、都督信陵・西陵・夷…
  • 永安の戦い 1 - 永安の敗戦は陸抗のせいではない
  • 陸抗の敗戦経歴として知られる、対羅憲の攻城戦、永安の戦い(264年2〜7月)について。なお「永安の戦い」という名前はここでの仮称。陸抗伝には、この戦に関する記述は皆無である。結果として敗戦であろうとも、何らか部分的な活躍があれば記されることもある中(陸抗の例でいえば諸葛誕の乱の際の活躍)、完全スルー…
  • 会稽のニワトリ
  • 『世説新語』政事篇にこんな逸話がある。賀太傅作吳郡、初不出門。吳中諸强族輕之、乃題府門云、會稽雞、不能啼。賀聞、故出行、至門反顧、索筆足之曰、不可啼、殺吳兒。於是至諸屯邸、檢校諸顧・陸役使官兵、及藏逋亡、悉以事言上。罪者甚衆。陸抗…
  • 病弱疑惑を考える
  • 多くの三国志解説本の類で、陸抗(りくこう)は病弱であったとされる。しかし、具体的な出典があるわけではない。その根拠は何なのか。羊祜の薬おそらく、羊祜(ようこ)との有名なエピソードによるイメージが最も大きい。陸抗が病気になったとき、敵である羊祜が薬を作って送ってきたが、陸抗は疑うことなくそれを飲んだ、…
  • 羊祜 - 天真爛漫な徳の人
  • 陸抗(りくこう)とも縁の深い西晋の武将、羊祜(ようこ)は、純粋で高潔で正義感が強く無欲な人格者であった。反面、軽々しくお忍びで出かけようとしては配下の徐胤(じょいん)に咎めらたり、大自然の風景の悠久さに対して人の生の儚さを思うなど、天真爛漫で繊細なところも。(徐胤は、後の歩闡の乱の際に巴東監軍として…
  • 呉の歴代大司馬
  • 大司馬は軍事の最高役職。書かれていないだけで、他にもいる可能性大。皆して在任期間が短い。若造が任命されることはまずないので、在任のまま死去する人が多いせいだとしても、一ヶ月未満〜最長で七年弱である。滕胤に至っては、陰謀に利用されただけという感じ。呂範(りょはん) 字:子衡(しこう) (?-228) …
  • 陸抗年表
  • 出典を表示しない西暦年月官職齢出来事出典帝226黄武5-1陸遜と孫氏(名は不明。孫策の娘)の間に、次男として陸抗が生まれる。“抗字幼節,孫策外孫也。遜卒時,年二十,……” “長子延早夭,次子抗襲爵。(陸遜傳)”-229黄龍14月-4孫権が帝位に即き、呉王朝が成立する。!黄武元年(魏の黄初三年、西暦2…
  • 永安の戦い 3 - 永安侵略の理由:呉軍は火事場泥棒ではない
  • この蜀漢滅亡直後に起きた永安の戦い(仮称)について、三国志ファンの間では呉を蜀の滅亡に乗じた火事場泥棒かのように評する風潮があり、「だから呉が嫌いだ」という主張を少なからず見かける。その最大の原因は、おそらく羅憲の発言によるイメージだろう。「わが王朝が転覆し、呉は唇と歯のごとき密接な関係にありながら…
  • 「三國志X」プレイ日記 陸抗 1:再挑戦開始
  • 三国志にハマりはじめた当初に買ったシミュレーションゲームの「三國志X with PK」。長らくWindows PCがなくプレイできなかったが、数年ぶりに家族のPCを借りて遊ぶ。当時、ルールもよくわからないまま陸抗主人公でプレイ開始→→ところが無能な上官と無能な部下にふりまわされた挙げ句、寿命で死んで…
  • 「三國志X」プレイ日記 陸抗 2:魏の滅亡
  • 孤軍奮闘でちょっとずつ魏の領土を侵攻していく傍ら、やっと奥さん候補の女の子武将と結婚。どうも、武将同士の結婚は、相手が任務を受けている間はダメらしい? 奥さんも配下なため休む暇もなく働き続けていたので。どうりで結婚できないと思ったー。しばらくして息子も生まれた。長男だが、名前は敢えて陸機で。忙しすぎ…
  • 「三國志X」プレイ日記 陸抗 3:天下統一
  • 蜀の空白都市を幾つか攻略し、また敵の領地を分断している状態になったため、このまま涼州の方向(図の1)に攻め込むかーと準備を始めたところ、君主・孫亮様から成都とかそっちの方(図の2)を攻略せよとのお達しが……。えー。都市数も少なく防備も手薄な方を先に攻略して、後顧の憂い無く中心部に挑むのが筋じゃないの…
  • 陸抗の名前 - 節を抗ぐ
  • 姓は陸、名は抗、字(あざな)は幼節。彼の名前の意味について。抗(一)アげる〔アぐ〕。高くあげる (二)アタる。はりあう。てむかう。はむかう。抗争「抵─」 (三)フセぐ。→防。こばむ (四)高い (五)おさめる。しまう① あ-げる(あぐ)。上にあげる。持ち上げる。 ② あらが-う(あらがふ)。さからう…
  • 陸抗関連マップ
  • 巫(ふ)当初の建平(けんへい)郡の郡都。蜀漢との国境。蜀漢滅亡後、魏に攻略される。秭帰(しき)巫が魏領になって後は、建平郡の郡都?永安(えいあん)巴東攻略のため出陣した歩協らの援軍として赴き、羅憲軍に敗北。江陵(こうりょう)264?〜270年?駐屯。江陵都督だったことも?楽郷(らくきょう)270年〜…
  • 陸抗の容姿
  • 陸抗の容姿については、特に記載がない。そこで親戚から推測してみる。父・陸遜三国時代、容姿の良し悪しはかなり人物評価を左右する。陸遜ほどの重要人物なら、容姿が良ければ記述されていそうだ。が、敢えて何も書かれていないということは……。父には美形遺伝子はあまり望めない予感が。なお『三国志演義(三国演義)』…
  • 陸抗の人柄
  • 几帳面な完璧主義者陸抗(りくこう)が若いころ、諸葛恪(しょかつかく)と入れ替わりに柴桑に駐屯することになった。元の任地を去るにあたって陸抗は、城壁や建物を補修し、まるで新しく完成したかのようなきれいな状態にしておいた。一方、諸葛恪が明け渡した柴桑の城はというと、壊れたところも多いままであった。さすが…
  • 陸抗の評価
  • 目次陳寿による評価陸凱による評価吾彦による評価梅陶によるたとえ何充によるたとえ陸機による評価習鑿歯による評価陸機による誄陳寿による評価抗貞亮籌幹,咸有父風,奕世載美,具體而微,可謂克構者哉!陸抗は、身を正しく持しつつ将来への見通しを持って行動を取り、父親の遺風をよく受け継いだ。父祖以来の立派な家風を…