Tags: 張悌

  • 2007.12.11 三国演義の挿絵ほか
  • 「クウノフタヒ」のみなとさんと、図書館にて演義の絵の本などをチェック→某所チャイナショッピングモール散策してきました。図書館の目玉は『中国古典文学挿画集成 1 三国志演義』(上下巻、滝本弘之編、遊子館)。コピーしてきたので幾つかスキャンしてみました。いつの時代の絵か確認し忘れましたが、著作権は切れて…
  • 諸葛靚の人柄 - 剛毅なリアリスト
  • 孫晧(そんこう)伝の注に引く干宝『晋紀』によれば、晋呉の決戦の折、呉の丞相・張悌(ちょうてい)率いる軍勢に、敵の張喬の軍勢が降伏してきた。諸葛靚(しょかつせい)は、降伏が見せかけであることを見抜き、受け容れずに全員殺して味方の士気を高めようと進言。しかし張悌はこの進言を却下する。張悌はいった、「強敵…
  • 晋呉決戦にて・諸葛靚と司馬伷
  • 呉の滅亡に際して、帝・孫晧(そんこう)を直接降伏させることになった人物は、司馬懿の息子である琅邪王の司馬伷(しばちゅう)だったが、この司馬伷は、諸葛靚(しょかつせい)の姉の夫でもあった。平吳之役,率衆數萬出涂中,孫晧奉箋送璽綬,詣伷請降。詔曰:「琅邪王伷督率所統,連據涂中,使賊不得相救。又使琅邪相劉…
  • 晋呉決戦にて・諸葛靚と張悌
  • 三国志最後の決戦といえる、晋による伐呉の役に際し、ときの呉の大司馬・副軍師であった諸葛靚(しょかつせい)は、丞相・軍師であった張悌(ちょうてい)の指揮下で出陣するが、結果、呉軍は大敗した。(詳細は「張悌 - 忠義のセンチメンタリスト」参照)孫晧(そんこう)伝の注に引く習鑿歯(しゅうさくし)『襄陽記』…
  • 呉の歴代丞相
  • 丞相の移り変わりをみると、呉という国が破綻していく過程が見えて興味深い。顧雍、陸遜、歩騭までは、納得の人選のように思える。しかし孫権の晩年空位となり、死後は孫峻・孫綝コンビによる乗っ取りで最悪の状況に。その後は濮陽興、万彧など帝の権利争いに纏わるコネっぽい人事が続き、陸凱は国の内部からの崩壊を食い止…
  • 張悌 - 忠義のセンチメンタリスト
  • 三国志最後の戦いである、西暦280年の晋による伐呉の役で奮戦したとされる、孫呉最後の丞相、張悌(ちょうてい)。「今日は私が死ぬべき日なのだ」晋軍は、各方面から押し寄せて着々と要所を陥落させ、ついに呉の都近くまで迫り来つつあった。軍師(現代でいう参謀の意味ではなく、軍の総帥)であり、丞相に就任したばか…